雲龍にて墓参り

承前*1

今回、雲南に旅行した主要な目的は墓参りであった。
去年7月に、三番目の叔父さんが上海で客死した*2。その叔父さんにとっては初の清明節。
4月3日午後に妻が退院して、下関に住む叔父さん(2番目の叔父さん)のマツダで下関へ*3麗江から大理までの距離は200kmくらいなので、自動車で3時間くらい*4。5時半頃麗江を出発して、大理白族自治州の鶴慶県、〓*5源県を通過して、〓*6海や三塔が見えてくる頃には、いくら日が暮れるのが遅い雲南であるとはいえ*7、辺りは真っ暗。下関の叔父さんの家に着いたのは9時前か。その日は同じ下関に住む従妹(叔父さんの娘)夫婦のマンションに泊まり、翌日午前中は新築中の叔父さんの豪邸の工事現場を見物し*8、午後から雲龍に向けて出発する。
同じ大理白族自治州とはいえ、目指す雲龍県石門鎮までは下関から175km離れている。さらにそこから山道を100kmちょっと南下すれば、そこは中国ではなくビルマである。途中までは大理−保山の高速道路を走るのだが、高速道路を逸れてからが大変。渓流沿いに峠を幾つも越える。それも馬、牛、山羊、豚、鶏を掻き分け掻き分け。こんな山道を自動車で走るのは、数年前にバスで熊野から十津川に下ったとき以来。しかし、距離としてはその数倍だ。ちょうど7時過ぎに(とはいってもまだ明るいが)山の中に突如として街が開けてくる。そこが石門鎮である*9
『新編 大理風物志』*10を見ると、「雲龍」という地名は、まだこの辺りが「大理国」という独立国だった時代(中国史的に言えば宋代)に遡る。漢代には「比蘇」と呼ばれていたそうな。また、「雲龍」の由来について、「雲龍一名来源、相伝因瀾滄江*11上復雲霧、横浮水面、宛如長虹、清晨則漸昇如龍、故名“雲龍”」とある(p.413)。「石門」については、「因進入這裡路口狭窄、両辺是懸岩〓*12、形如一道門、因此名叫“石門”」(ibid.)と。今でも塩井が遺されているが、昔から塩が特産で、塩の交易で栄えており、妻の家は曾祖父の代までは塩商人であったという。この雲南の山奥とはいえ、日本と無関係であるわけではない。何故なら、ここは松茸の産地であり、松茸成金もちらほら出現しているとか。実際、松茸を食べたが、普通の中華風の炒め物。それから、帰る日に近所の家に連れていかれ、山羊の臓物の鍋を振る舞われたが、そのときに自家製の松茸酒を振る舞われたが、これはかなり効く。地元の人によれば、松茸の旬は9月から10月にかけてということだが、奧野さんはもしかして松茸三昧を堪能されたのか。
着いた次の日は墓参り。一族が集まって、裏山にある墓所へ行く。裏山のほとんど獣道に等しいような道を歩いていて、気づいたのは先ずここら辺は野生のサボテンが生えているということ*13。仙人掌という漢字表記には思わず納得してしまう。また、日本の野辺道にもありそうな〈道祖神〉(何と呼ぶのかわからないが、とにかく男女ペアの神様)が祀られているということ。今日は墓参りの前に、龍脈を守る山の神を新たに祀って、去年亡くなった叔父さんの墓碑を据え付けなければならない。叔父さんの墓碑には叔父さんの事績が記され、子孫や親類縁者の名前が刻まれている。私の名前も刻まれている。ここで気になったのは、柳のシンボリズムだ。神様にも墓にも柳の枝を具える。中国のほかの地域で柳がこのように使われているのかどうかは知らない。日本でいえば、榊に当たるのだろうか。ここら辺は松林といっていいくらい、松が自生しているのだが、日本では正月の門松とか霊的な意味を担っている松ヶ枝もここでは疎んじられ、墓の周りを掃くのに使われている。墓前で紙銭を燃やし、爆竹を鳴らし、墓前に額ずき拝礼。墓所の隅には竈があり、また墓前にはテーブルがある。そこで鍋物をつくり直会。このために上海で買ってきた「浦霞」も開ける。墓碑を刻んだという大工さんが日本では紙銭を燃やすのかと訊く。日本では線香を燃やすだけだと答える。また、日本の墓はどうなんだと訊く。日本の墓はこんなかたちだと、煙草の箱を示す。でも、沖縄の墓はこれとよく似ているという*14
墓所のあるところから少し歩くと、「虎頭山」。切り立った岩山(モノクロにすればそのまま山水画!)に沿って、道教・仏教一体となった宗教空間が構成されている。本来なら下からお参りすべきだろうが、上から「老君殿」、「王母寺」、「虎頭寺」等々を参拝する。崇高ともいえる場所の寺であるが、その内部はさにあらず。近所の年寄りの憩いの場となっている。「虎頭寺」では次の日に「観音会」という講があるとかで、おばさん連中がそのための料理に精を出していた。また、「虎頭山」には仙人の足跡、仙人の床といった〈遺跡〉?あり*15

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070412/1176389537

*2:その経緯については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060628/1151524817http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060629/1151606034http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060709/1152465227http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060714/1152899446http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060717/1153144887に書き綴った。

*3:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070413/1176393881のいちばん下の記念写真は出発直前に撮ったもの。

*4:というか、大理といっても大理白族自治州ということなら、40分くらいなのだが。麗江市街まで車で30分くらいかかる麗江機場は実は大理白族自治州との境に近い。

*5:er3. さんずい+耳。GB2293.

*6:er3. さんずい+耳。GB2293.

*7:Cf. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070409/1176093871

*8:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070410/1176233504

*9:いちばん上の写真はちょうど到着した頃。赤い壁の家は妻の実家。

*10:Cf. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070409/1176102345

*11:メコン川の上流なり。

*12:dou3. こざとへん+走。GB2224. 傾斜が急であるの意。

*13:後に、大理で仙人掌の花の揚げ物を食べた。

*14:そうですよね、Skeltia_vergberさん? 沖縄の清明節もこんなものですか。

*15:日本にもダイダラボッチの伝説はあるし、巨人伝説というのは世界のどこでもあるものなのだな。