零記号としての「ホームレス」

近代人は誰もが形而上学的な意味におけるホームレスであるといったのはピーター・バーガーである*1。だとすれば、「ホームレス」の人が迫害されるというのは、マンデインな準位においては未だホームレスではない人が一生懸命誰もが分有する筈の形而上学的なホームレス性を隠蔽しようとしている仕草であると考えることも可能だ。
ところで、


http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20070210/1171089018
http://d.hatena.ne.jp/zarudora/20070205/1170693834
http://d.hatena.ne.jp/zarudora/20070209/1171053492


とかを読んでみる。熟々「ホームレス」の人たちは大変だと思う。勿論、寒いだろうとかということはあるのだが、ここで言いたいのは〈意味の負荷〉である。本人たちはもしかして、〈意味〉なんて要らないから金をくれ、家をくれと思っているのではなかろうか。究極の怠け者だったり究極の自由人だったり究極の恐怖の対象だったり。何も意味しないが故に何でも意味するという零記号なのか。適切な表現の仕方はわからないのだが、シニフィエ以前的な意味可能体が「ホームレス」というシニフィアンに投げつけられることによって、シニフィエとして具体化されるという感じがする*2
さて、http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20070210/1171089018で引かれている「権利を主張する前に、義務をはたせ!!」、「義務を果たしてこその権利である」、「権利は、義務を満たしてこその権利であって、義務を果たさないものに権利は与えられない、表裏一体のものと考えられる」といった言葉。good2ndさんは「この言い方について」「以前からずっと違和感を抱いていました」という――「それは、中学生のときになぜ丸坊主にしなければならないか先生が誰も答えてくれず、「権利には義務が…」などという抽象的な言い回しでごまかしていたことに腹を立ててから、今にいたるまで続いているように思います」。「丸坊主」と「権利」「義務」がどう結び付くのかわからないのだが、それはともかくとして、「権利」にしても「義務」にしても、そもそも無際限で途轍もないものなのだが、2つをペアにすることによってその途轍もなさを相殺し、何とか平穏な社会秩序の中に封じ込めようとする努力だと解釈できそうな気もする。因みに「税金」についてだが、現代では消費税制度によって直接税を納付できない人でも何某かの消費をすることによって国家に貢献できるようになっている。しかも、それは実質的には逆進的である。

*1:バーガー先生はネタ元を明らかにしていないが、そのネタ元の(少なくとも)ひとつがハイデガーであることは間違いないだろう。

*2:ホルモン=放るもん?