『のだめ』の読み方

承前*1

内田樹*2は将来「受験秀才たちは日本の大学院には来ないようになる」として、以下のようにいう;


ともかく、その結果、日本の大学の大学院研究室はふたたび1950年代末のような「デモシカ教員」たちの巣窟となる。
その結果、日本の学問水準が一気に下がることになるのか、それとも食えなくてもいいから、大学で研究できさえすればいいですというへんてこな人間ばかりが残って、大学がすごく怪しげな場所になるのか、それはわからない。
私としては大学がふたたび社会的不適応者の巣窟となり、「お天道様がまぶしい」ような生き方をする方が日本のためにはよいような気がする。
るんちゃんお薦めの『もやしもん』を読むと、日本の若い人たちの中には「めちゃくちゃ怪しい人たちばかりが跳梁跋扈している大学」というものにそれなりの夢を抱いている方がたがそれなりの数いることが知れる。
もやしもん』は某農大のバイオ研究室に蟠踞するマッドサイエンティストたちの青春群像である。
そのような学生生活のありようを今の若者たちの一部が肯定的に受け止めているとしたら、大学に希望はあると私は思う。
数年前に一世を風靡した『動物のお医者さん』も某大学獣医学部に君臨する非常識きわまるウルシバラ教授に振り回される若きサイエンティストたちの姿を描いたものだった。
のだめカンタービレ』も某音楽大学で社会的成熟度ゼロのシュトレーゼマン先生に振り回される若き音楽家たちの困惑と成長を描いたものだった。
意外なことに、この「大学淘汰」の時代、「大学の知的メルトダウン」の時代に、一部の若者たちは「わけのわかんない先生に振り回されて過ごした、いかなる経済合理性とも無縁な不思議な大学生活」をたいへん好意的に描いているのである。
私はこの好尚はなかなか健全ではないかと思う。
そういう読み方もあるのかということで、メモ。
ところで、内田氏は「現実に、1960年代までは「大学院に行く人」というのは「大学院に行くくらいしか能がない」変わり者であり、大学教員の給与も社会的地位も相対的にはかなり低いものであった」と述べているが、このことは私も長老的な(既に現在では鬼籍に入られた方も多い)先生方から伺ったことはある。昭和30年代はこの大学でも教職員への給料の遅配・欠配が度々あったものですと。内田氏はそこからの転換の原因として、「1960年代半ばから始まった「駅弁大学」(@大宅壮一)創成」を挙げているが、高学歴化(大学への需要の増大)に加えて、さらに重要なこととして、文部省の助成金の充実ということがあったのだと思う。また、「駅弁大学」というのは、私見によれば、戦前から各県にあった師範学校とか医学専門学校を戦後大学に格上げしたものであって、内田氏の使い方はちょっとずれている気もするが、如何だろうか。