萬葉仮名を巡る誤解

http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20061014/1160819367にて知る。
『朝日』の記事;


最古の万葉仮名、7世紀半ば木簡に記載 大阪・難波宮
2006年10月12日
 大阪市中央区難波宮(なにわのみや)跡で、7世紀中頃のものとみられる、日本最古の万葉仮名(まんようがな)文が書かれた木簡が見つかったと、大阪市教委と市文化財協会が12日、発表した。万葉仮名文の成立は一般に7世紀末ごろとされていたが、今回の発見で20〜30年、さかのぼることになる。市教委などは「日本語表記や和歌の歴史にとって画期的な資料」としており、「万葉仮名文は7世紀末ごろに柿本人麻呂が完成させた」とする説にも再考を迫るものとなる。


 万葉仮名は主に漢字1字を1音にあてて日本語を表記した文字で、万葉集で使われていたことで知られる。今回、出土した木簡は、長さ18.5センチ、幅約2.65センチ、厚さ5〜6.5ミリ。丁寧に削られた片面に、墨で「皮留久佐乃皮斯米之刀斯」の計11字が書かれていた。12字目をわずかに残して、下部は欠けた状態だった。

 国語学の専門家は「はるくさ(春草)のはじめのとし」と読む可能性が高いと指摘。「春草の」は万葉集で枕詞(まくら・ことば)として使われており、文は五・七音を重ねた韻文の可能性が高く、和歌とみられる。

 木簡は一緒に出土した土器や地層の状況から、大化の改新後に飛鳥京から遷都した前期難波宮の完成(652年)直前のものとみられる。

 これまで、万葉仮名文が書かれた古い木簡としては、古今和歌集の和歌の最初の五・七部分「奈尓波ツ尓作久矢己乃波奈(難波津(なにわづ)に咲くやこの花)」が書かれた観音寺遺跡(徳島市)出土の木簡(689年以前)や、飛鳥池遺跡(奈良県明日香村)出土の木簡(672〜686年ごろ)が知られていた。

 難波宮跡の木簡は大阪市大阪歴史博物館(火曜休館)で14、15日に特別公開(無料)、18〜23日に一般公開(有料)される。
http://www.asahi.com/culture/news_culture/OSK200610120063.html

誤解していました。弘法大師が平仮名を発明する以前の漢字を宛字とした日本語の表記法一般を萬葉仮名というわけですね。私は『萬葉集』で使われているような高度な表記法のみを萬葉仮名というのだと思っていた。というか、所謂宣命体に使うのは萬葉仮名とは言わないんだと思っていた。平安時代になると、既に『萬葉集』は意味不明の文書と化して、その全読解には数百年かかったわけだが、〈夜露死苦〉程度の表記で読解に数百年かかるわけはない。ただ、今回発見されたというものも、〈夜露死苦〉と同じ程度だろう。ところで、朝鮮半島では世宗大王がハングルを発明するまではヴァナキュラーを吏読という漢字の宛字で表記していたのだが、これと萬葉仮名とは関係ないのか。勿論、吏読の方は文字通り事務用品なので、(私が誤解して狭い意味に取っていた限りでの)萬葉仮名のような藝術性はないだろうが。因みに、「「春草の」は万葉集で枕詞(まくら・ことば)として使われており」とあるが、手許の『新明解古語辞典』を引くと、「春草の」は「繁し」「めづらし」にかかるとされており、「春草のいやめづらしきわが大君かも」が例示されている。
また、http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20061013#1160682695。マジな話、現代において仕事として萬葉仮名を使っているのは神主さんです。祝詞は萬葉仮名で書かれていますから。それから、名前のヒコという部分を彦ではなく比古と書く人がけっこういますけれど、これも萬葉仮名的用法ですね。多分、国学の影響か。