明義士

 王曉熊「伝教士往事」『東方早報』2006年7月25日


「明義士」とはカナダの宣教師James Mellon Menziesの中国名。「明義士」は「殷墟甲骨収蔵最有貢献的人之一」である。しかし、そのコレクションはこれまで「帝国主義文化侵略的一部分」とされてきた。このコラムはその〈汚名〉を雪ごうとする。
今までに「殷墟」から出土した甲骨は10万から15万片といわれている。そのうち、中国国内で保存されているのは8万から10万片。カナダの「安大略皇家博物館」が5000片をコレクションしているが、これは「明義士」の死後に寄贈されたもの。「明義士」は1917年の著書『殷墟卜辞』において、5万片をコレクションしたと述べているが、その多くは1920年代の「北伐戦争」の時に安陽に駐留していた呉佩孚の軍隊によって破壊されてしまった。20世紀初頭、宣教師も含めて外国人による中国文物の横流しが横行していたが、「明義士」のコレクションはあくまでも研究のためであり、教鞭を取っていた「斉魯大学」(済南)に寄贈することを希望していた。
1952年に「三反運動」が起こり、「斉魯大学」は「政治風暴中一個焦点」となった。「明義士」は抗日戦争勃発後、コレクションの保護のために文物を密かに地下に「埋蔵」していた。学生の吊し上げによって、英国人教師「林仰山」が「埋蔵文物的地図」を明かすと、「帝国主義文化掠奪的罪証」として喧伝されることになった。しかしながら、現在山東博物館が所蔵する甲骨のコレクションは、この「明義士」が「埋蔵」していたものに由来する。
「明義士」の「対中国伝統文化的熱愛」は中国で生まれた息子の命名にも表れている。『大学』から採って、「明明徳」。「明明徳」は後にカナダ大使として中国に駐在している。