法の効果のひとつとして

大屋雄裕さん*1


つまり単純なことであって、違法行為ないしは違法の嫌疑のある行為は摘発される可能性は0より大きく1より小さい。1にならないのは警察の人的資源が有限だからという理由もあるし、「完全な取締」を目指すと副作用としての人権侵害が洒落にならないからという理由もある。例えば各人の身体にマイクを内蔵して24時間警察がモニタしたりすれば個室で合意されるソープランドの売春も摘発できるのかもしれないが、そんな社会に住みたいかね、というわけだ。警察を含めた取締官庁がその労力を比較的必要性の高いものに集中する結果としての「取りこぼし」というものは必然的に発生するし、また時にはあまりひどくならない程度であればあえて放置するという、いわゆる「お目こぼし」が発生することもあるだろう。
と書いている。また、「私には、アメリカと比べると日本では「違法行為」の網を広めにかけた上でお目こぼしをする、ひどくなってきたら1・2件摘発して「見せしめ」もとい「一罰百戒」効果を狙う、という弾力的運用が広く行なわれているという印象がある」とも。
これは「PSE法」の問題を巡ってのエントリーであり、コメント欄もかなり炎上しているのだが、ここではそれらのことについては触れない。
引用された部分についていえば、それはたんなる事実なのであって、これについて賛成も反対もないだろう。あらゆる法律は厳密には〈笊法〉である。悪法もまた法であり、また〈笊法〉もまた法なのだが、さらに法が法として定立されることの効果として、行為者に後ろ指刺され感みたいなのを植え付けるということがあると思う。多分抑止効果といわれているものなのだが、悪い奴なら後ろ指刺されても痛くも痒くもないだろうし、切羽詰まっていれば、後ろ指だろうが前指だろうが、そんなものに構っている余裕はない。ただ、多くの人にとって、この後ろ指刺され感というのは精神衛生に少なからぬダメージを与えるのではないかと思う。「お目こぼしになる方法を考えるとか、規制を潜脱する方法を編み出すとか、あとは摘発されて罰金だの何だのを払ってももうかるだけの利潤を上げるとか、いろいろ対処法というのはあるものなのだが」というけれど、たしかにビジネス上はそれで問題がないのかも知れない。しかし、精神衛生へのダメージというか不快感というのは、金では購えない。
また、「見せしめ」というか「一罰百戒」だけれど、これがランダム・サンプリングというか籤引き的に決められるのなら、多分誰も文句はいえないだろう。それは純粋に〈事故〉なのであり、恨むとしたら〈不運〉を恨むしかあるまい。交通法規ならともかく、多くの法の執行において、それがランダムになされていると信じる人はあまりいないのではないか。これは法というよりも法を執行する権能を有した者の権力の作動の問題になるのかも知れないが、ぱくれるけれど敢えてぱくらないという留保こそがその気になればいつでもやれるという可能性を喚起する。これも権力の現れ方の1つではあろう。そして、その気になったときのターゲットの選定は、法の論理ではなく政治の論理によっってなされるということは想像に難くない*2
ところで、「連行闘争」という言葉を知る。米国の「市民的不服従」の伝統の中で編み出されてきたもの。これについての安田(ゆ)さんのコメント*3

先日香港で、韓国の民衆闘争団をはじめとする1158人が大量連行された事件については、何度も書いた。
これはいわゆる「連行闘争」ってやつで、韓国に限らず、米国なんかでもしばしば実行されるという。
「市民的不服従」を掲げた座り込みの結果が警察による「連行」という形をとるわけだが、こうした戦い方は、例のキング牧師なんかがかかわっていた公民権運動の中で確立されたもの。そのルーツはガンジーの非暴力不服従ってやつだ。

日本でも、もっと市民的不服従みたいなデモをやってもいいと思うのだけど、現実的には難しい。なにしろ日本や北朝鮮みたいに公安警察の横暴に司法の歯止めがかからない恐怖統治の国では、形式的な「犯罪」を理由とした無茶苦茶な弾圧がまかり通ってしまう。単に三泊四日の休みだけならともかく、家宅捜索だの近所や勤務先への聞き込みだのという嫌がらせ、ヘタをすれば勾留の延長に延長が重ねられ生活を破壊されてしまう、なんて話もある。
ビラをまいたらテロリスト扱いされるような日本では、とても市民的不服従どころではない。

*1:http://alicia.zive.net/weblog/t-ohya/archives/000299.html

*2:ここでは、「権力」とか「政治」という言葉を、その通俗的な意味において使用している。

*3:http://www.labornetjp.org/Members/Staff/blog/221