消費税、「消極反抗」など

承前*1

先ず、


SABRINA TAVERNISE “Pakistan’s Elite Pay Few Taxes, Widening Gap” http://www.nytimes.com/2010/07/19/world/asia/19taxes.html


日本の税金が高くて困ったものだぜとお嘆きの富裕者の方にはパキスタンへの移住がお奨め。パキスタンでは与野党政治家を初めとする金持ちは殆ど所得税を払わず、国家財政は貧乏人の払う消費税と米国からの援助によって支えられている。
それから、


http://d.hatena.ne.jp/kechack/20100714/p1


ここで述べられていることとは全然関係ないけれど、「なぜ消費税増税が支持されなかったのか」はちょっと考えてみればかなり簡単なことなのだった。それは多くの人にとって、消費税というのは(間接税という名にも拘わらず)直接的なものだからだ。少なくとも主観的には。法人税というのは個人が払うものではないので、取り敢えずスルーする。所得税というのは給与生活者にとっては、取られる/払うというよりは、源泉徴収制度のおかげ/せいで、何時の間にか天引きされているものなのである。それに対して、消費税の場合、外税である限り、買い物をする度に、取られている/払っているということを実感することができる。まあ、完全に内税になってしまえば、その実感も消えてしまうのだろうけど。
さて、米国の反戦運動その他の政治運動には〈市民的不服従(civil disobedience〉というのがある。この概念はヘンリー・デヴィッド・ソロー(Henry David Thoreau*2に発するわけだが、ソローが最初に実践した市民的不服従は納税拒否だった。彼は当時米国が墨西哥に対して行っていた戦争を、合衆国として国益ではなく南部の奴隷所有者たちの私益にのみ関わるものであり、それに対して国税を投じるべきではないとして、人頭税の納付を拒否し、それによって奴隷制反対と反戦の意思表示をした(張愛玲「梭羅的生平和著作」in『重訪辺城』*3、pp.10-11)。こうした市民的不服従が存立するのは税という制度が存在するからである(笑)。日本ではNHK受信料支払いを拒否している人もいるし、原発に反対して電気料金の支払いを拒否した人もいたが、政府に反対して納税を拒否した人、反政府行動として納税拒否を広く呼びかける政治組織も聞いたことがない。勿論、脱税する人は沢山いるわけだが、脱税と市民的不服従としての納税拒否は全然違う。脱税者は税金を払わないことを隠すが、後者はそれを天下に明らかにする。納税拒否という闘争が行われないのは、多くの日本人にとって、源泉徴収制度のおかげ/せいで、税金が自分の意志で納めるものではなく、何時の間にか天引きされているものと観念されているからだろうか。
さて、張愛玲はcivil disobedienceを「消極反抗」と意訳している。曰く、「他認為政府応該“無為而治”、不可干渉到人民的自由;而当政府施用圧力、強迫人民做違反良心的事情的時候、人民応該有消極反抗的権利」(ibid.)。中国人にとって、ソローは〈道家〉なのだ。
ハンナ・アレントの”Civil Disobedience”というテクスト。これは市民的不服従とは何か100字以内で要約せよというような需要には向かない。しかし、アレントにとっての政治と道徳の関係を考える上では避けて通れぬテクスト。

Crises of the Republic: Lying in Politics; Civil Disobedience; On Violence; Thoughts on Politics and Revolution

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暴力について―共和国の危機 (みすずライブラリー)

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