童貞いろいろ

 「カマヤン」さんのhttp://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060206とそれに対するcrowserpentさんの反論*1。要は人生いろいろ、童貞いろいろということでしょう。問題は童貞いろいろを否認して、論理的には許容されえない(せいぜい統計学的な一般化しかできない)童貞の規範化(normalization)を行おうとしていることだろう。ぶっちゃけた話、やりたいのにやれない人もいれば、やりたくないからやらない人もいるということだ。また、「カマヤン」さんの場合、「エロ本規制とか性教育撲滅活動とかしているカルトども」とかを批判するという戦略的な言説であることを考慮すべきか。
ところで、議論の背景になっている統計数字なのだが、そもそもはhttp://d.hatena.ne.jp/finalvent/20051211/1134258294から引用されたものであり、そのfinalventさんもhttp://etc4.2ch.net/test/read.cgi/motenai/1132429064/78から引用している。あからさまなインターテクスチュアリティ(互文性)ではある。
そのfinalventさん曰く、


 童貞であるか否かの問題は経験の有無の問題ではなく、それがどのような女観を形成したかにあるとは思う。

 村上春樹のどの小説だったか、裸の女の子の記憶はどれも同じ、みたいなのはありうる。というか、求めるものが同型ならそうだ。実際は、それは、かなり、違う。その違いを嗜好するに栗先生のようならそれもまたよしだが(くどいぞ)、それはただ迷路のようになる、だろう。

 実際の問題は、童貞以降の心象にあるのだろうが、そこはあまり、ブログなどではみかけない。恋愛の問題として語られるからだろう。愛はそこでも幻想になっているのだろう。

 ブログなどでは、非モテ、童貞として語られるのが目立つように思う。不思議な光景でもあるが、女イメージの先駆的な恐怖なのではないかとも思う。すでに世相はベーシカリーに女性の裸のイメージに溢れているのと、その関係性における男の自意識だけが突出からだ。つまり、そういう大枠の構造のなかで、問題が強いられている。

 もうちょっというと、言うにやばいが、そうした問題が、つまり、自意識に還元された問題としてそれが現れるのは、母との承認の関係の反復なのだろう。ということで、広義に母子関係の問題でもあると思うが、こうした話は、嫌がられるだろうし、ムキになって反論されてもそれほど問題意識が共有できるわけでもない。なので、そのくらい、ぼちぼち、あんじょうやってください。

 ただ、もうちょっと言うと、この問題の無意識がつきつけるのは、たぶん、「母」を犯すということなのだろう。ところが自意識の承認の無意識の支えがその「母」でもあるのだ。そしてそれはもっとも失いたくない無意識の圧力でもあるのだろう。

理論的な妥当性はわからないのだが、私が知っている〈童貞〉では「母」への固着が関わっていると思われるケースが多い。そんな俗流精神分析が当嵌まってしまって許されるのかよと思ってしまうほど。ただ、やはり人生いろいろ、童貞いろいろではあるわけだが。
ところで、〈童貞〉問題の根っこの部分には、能動性/受動性に関する根本的な勘違い*2が横たわっている気がするのだけれど、それについては別の機会にしよう。

*1:http://d.hatena.ne.jp/crowserpent/20060212 http://d.hatena.ne.jp/crowserpent/20060215

*2:いうまでもなく、これは〈ジェンダー〉と密接に関わっている。