「創造者」と「被造物」(メモ)


私の誤解かもですが、日本人が「神」というとき、日本の八百万の神(ちなみにそんなものはなくて日本の古代は実は道教ですけど)とかのつまんない議論は別として、唯一神とかいうとき、又吉さんなんかのあれもたぶんそうかなと思うけど、創造者と被造物という枠組みの感覚が抜けているように思うのですよ。

 天も地も諸生物もというか存在そのものを(アウグスチヌス的に言うと時間も)、神が創造した、というか、その創造者としての「神」という感覚と、自分が被造物であり、諸存在が被造物であるという感覚はあまりないんだと思う。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070812/1186923891

これを読んで、

実は、所謂アブラハムの宗教を他から分かつ特徴は「一神教」ということではないと思う。唯一神がコスモスの外部に位置しているということ、そして神が無から世界それ自体を創造したこと。外部の人間から見たアブラハムの宗教の突拍子もなさは、それらが「一神教」であることではなく、この神が世界の外部にいるということ、無から世界を創造したということに尽きるだろう。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070418/1176869274
と書いたことがあることを思い出した。
ところで、「西洋の古層」*1について、取り敢えず、古典的なものとして、ハイネの『流刑の神々 精霊物語』と事実無根の真実を含むかも知れぬミシュレの『魔女』をマークしておこうか。
流刑の神々・精霊物語 (岩波文庫 赤 418-6)

流刑の神々・精霊物語 (岩波文庫 赤 418-6)

魔女〈上〉 (岩波文庫)

魔女〈上〉 (岩波文庫)

魔女〈下〉 (岩波文庫 青 432-2)

魔女〈下〉 (岩波文庫 青 432-2)