「低学歴」認定

小谷野敦氏曰く、


要するに、「低学歴臭」が漂っているのだ。日東駒専臭といおうか、大東亜帝国臭といおうか。
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070704
これは渡部伸という人の『中年童貞』という本の中で、著者が5年間片思いを続けていた女性と遂に初デートが叶い、その日のうちにセックスに持ち込もうとするが、当然のことながら失敗したというエピソードに対するコメントである。「初めてのデートでセックスしようと思」うことが「低学歴臭」だというのだ。曰く、「むろん、低学歴者には低学歴者なりのもてなさというのがあるし、きっと低学歴社会では、初めてのデートでセックスに持ち込むというのは、普通のことなのだろう(?)」と。
それはともかくとして、小谷野氏にとっては、「日東駒専」だとか「大東亜帝国」というのは「低学歴」に属するらしい。ということで、私は晴れて(?)「低学歴」として認定されたことになる。まあ、今迄も自分が〈高学歴〉だとは思ってはいなかったが。
さて、小谷野氏の要約及び著者の渡部伸氏が「会長」を務める「全国童貞連合」のサイト*1をブラウズした限りで、「童貞」の問題点は浮かび上がってくる。彼らにとっては、「童貞」を捨てることが目的化しており、他のあらゆる物事はそのための手段として位置づけられることになる。そのテロスに向かって、形振り構わず、using any means possibleというわけである。だから、彼らは異性と映画を観ても、酒を呑んでも、やれない限り、「童貞」喪失への距離が近づかない限り、それ自体としての愉しさを味あうことはできない。また、彼らにとって、視野に入る限りでの異性は自らの「童貞」喪失という目的を達成するための手段でしかない。そのように眼差される側の立場に立ってみれば、そういうことを自覚した途端に、凄くストレスを感じてしまうというのは理の当然だろう。セールス・マンやら宗教的勧誘やら政治党派のオルグの一見フレンドリーな態度に警戒するのと同じである。かくして、やる気満々の「童貞」はますますキモいということになり、逆説的に彼らのテロスはますます遠ざかるという次第だ。この「全国童貞連合」と渡部伸氏のことは『産経新聞』にも採り上げられている*2。この中で、渡部氏は、

バブル期の三高の条件では、背は無理でも学歴と収入は努力でカバーできました。いまでは、経済力に加えてセンスや雰囲気、コミュニケーション能力が要求される。これは生来のもので、スキルアップは難しい…。
と語る。ここでいう「センスや雰囲気、コミュニケーション能力」云々というのは、「童貞」たちの森羅万象を「童貞」喪失のための手段に還元するということが既に見破られており、上でいうところの「それ自体としての愉しさ」が重視されているということなのだろうけど、私が見るところ、彼らは恋愛を技術の問題に還元してしまっている人たちで、それは「スキルアップは難しい」という発言にも表れている。だから、「難しい」とはいいつつ、都合のいい手段さえ見つかれば「スキルアップ」は可能だと考え、また不毛な努力が続けられるのか。
現在云々されている〈非モテ〉問題の起源の少なくともその一端は明らかである。それはhow-to本文化、マニュアル文化の蔓延ということであり、さらにでかいことをいえば、森羅万象を手段−目的の連鎖に還元してしまう近代主義的な発想ということになる。「資本主義」というのもそのような近代に乗っかって存立しているわけだけれど、それを「フェミニズム」の勃興やら「バブル」経済やらのせいにするというのは、ちょっとお門違いなのではないかとも思うのだ。
ところで、小谷野氏に「低学歴」認定された渡部伸氏であるが、http://www.cherrybb.jp/howto3.phpを読むと、慶應義塾大学の卒業生である。