CSFその他

 6月25日。
 日が改まり、朝になっても、ペーパーは完成しない。どうしても、最後の部分が書けない。書いてはみたものの、どうしてもベタというか白々しい気がして、deleteボタンを押してしまう。既発表論文そのまま貼り付けてもいいのだけれど、それも気が進まない。結局、思案中という旨を2行書き付けて、終わりということにしてしまう。
 江古田にはかなり早く着いたので、Book Offの2階にあるcafe Escapeというところで、パスタを食べる。そもそもは落ち着いたカフェなのだろうけど、お客さんが多すぎ、少々うるさい。食事をしながら、読みかけだった高木徹『ドキュメント 戦争広告代理店 情報操作とボスニア紛争』(講談社文庫)、J.T.リロイ『サラ、神に背いた少年』(アーティストハウス、2000)を読み切ってしまう。
 さて、CSFだが、参加人数はかなり少な目だったけど、逆にそうであるが故に、ディスカッサントの九谷浩之さんとのやりとりなど、充実していたのではないかと思う。また、上野俊哉さんからも鋭い突っ込みをいただいた。上野さんが指摘して下さったことには、〈スピリチュアリティ〉と1980年代ヨーロッパの「新しい社会運動」との関係ということがあったのだだけれど、これについてはご指摘ありがとうございましたということで、〈スピリチュアリティ〉というと、アメリカの対抗文化との関係に目が行きがちだけれども、シュタイナーとその〈緑〉の運動への影響といったところで、気付いていたことはいたのだけれど、ヨーロッパという文脈における〈スピリチュアリティ〉今回の報告では〈盲点〉になっていたということは事実。また、昨年の基礎研のシンポジウムでも(〈スピリチュアリティ〉について直接報告したのは伊藤雅之さんだったが)、ヨーロッパの文脈における〈スピリチュアリティ〉の対抗文化性についての議論はなかった。
 ということで、あっという間に時間が経って、「おしどり」へ。「おしどり」を出たのは10時すぎ。家に着いたら、既に26日。

 九谷さんから、ご自身の論攷(「剰余/差異としてのノイズ アメリ中産階級とパンク」)が掲載された『立教アメリカン・スタディーズ』27、2005をいただく。この号には、九谷さんの論文の他、桑野弘隆氏の「対抗文化」論も掲載されており、何よりも特集は、青山南能登路雅子、佐藤良明、篠崎誠という執筆陣の「検証!アメリカン・ポップ・カルチャー」なので、興味津々。


 高木徹『ドキュメント 戦争広告代理店』だが、この本を面白く読めるかどうかは、ひとえに「戦争広告代理店」のジム・ハーフに共感する著者に感情移入できるかどうかにかかっているのかもしれない。著者は旧ユーゴスラヴィア紛争には中立だといい、敵役のセルビア側に対しても決して不公平なわけではないのだけど、ボスニア・ヘルツェゴビナ(モスレム人)の外交=PRを仕切るジム・ハーフへの共感は隠していないので、そういう著者に感情移入することができなければ、〈国際サスペンス〉として愉しむのは辛くなるだろう。実際、著者は「戦争広告代理店」には憧れをもっており、その反映が日本の官民のPRはなってないというストレートなお説教なのだろう。
 題名だけ見ると、事実なるものは全て「戦争広告代理店」の情報操作によって構築されたものというある種の〈陰謀理論〉を主張する本ではないかと思ってしまうかも知れない。しかし、この本から読み取れるのは〈陰謀理論〉とは正反対の現実感である。いくらジム・ハーフなりボスニア・ヘルツェゴビナのハリス・シライジッチ外相が巧妙であったとしても、彼らが思い通りに事を進めたというよりも、セルビア側の失敗や不運を含む偶然の結果、PR戦に勝利したにすぎない。また、アメリカ合衆国は、寧ろPRの対象であり、アメリカ自身が持て余しているかも知れない軍事力を自分たちの利害のために発動させようと、諸勢力がエスニシティを同じくするアメリカ人を頼りながら鎬を削る場所、ということになる。
 本から教訓をというのは、オヤジ臭く下品な振る舞いではあるけど、この本から汲み取るべきは、実は〈愚直〉ということの重要性であるのかも知れない。何しろ、この本の登場人物の中で好感度No.1といえば、ハーフらの〈謀略〉によりメディアの集中砲火を浴び、退役を余儀なくされたカナダ軍のルイス・マッケンジー将軍にほかならないからだ。


 J.T.リロイ『サラ、神に背いた少年』、続編が映画化されて既に公開されたらしいけど*1、(紀伊國屋書店によると)現在この本は品切れ中らしい*2。ちょっと考えると、母親に憧れて「娼婦」になる12歳の少年という設定からして凄いと思うし、主人公の「ぼく」=「サラ」が生きる経験というのも、例えばドラッグまみれになるとか、悲惨なものなのだけど*3、文章(金原さんの訳文)を読んでいる限りでは、スティッキーでもドロドロでもなく、とてもさらさらしている。アライグマのペニスの骨のネックレスとか「ジャカロープ」といったアメリカ南部の民俗文化に属するアイテムが物語の進行に重要な役割を果たしており、また南部/北部の対立が物語の前提として横たわっている。それよりも、先ず「ダヴズ・レストラン」のメニュー、例えば「山のようなエッグズ・ベネディクトと、聖書くらい厚いカキの実入りのパンケーキ」(p.7)とか「キングサーモンウェリントン」(p.12)が美味しそうだった。但し、「ケンタッキーコーヒー」は遠慮しておきたいけど。 

*1:http://www.cinemacafe.net/ps/archives/001927.phtmlを参照のこと。

*2:http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9973993128

*3:自伝小説という触れ込み。つまり、記述は〈事実〉によって支えられているということだ。