宇沢弘文、斎藤眞「新保守主義台頭の歴史的背景――アメリカ・リベラリズムの命運は?――」(宇沢弘文『現代経済学への反省』、pp.175-205)*1から再度抜き書き。斎藤氏の発言。
つまり、「アメリカ・カムズ・オブ・エイジ」。いわばいま青年期にあって、大人になろうとしている。いわば青年から成年へ移行する非常に混乱した状況。[ヴェトナム戦争後の米国は]人間の生涯にたとえれば、そういう状況にある。
そこで私が一つ感じたことで、アメリカ史の流れのなかでかなり重要な問題になると思われるのは(略)宗教的な問題です。アメリカ社会のなかにはピューリタン的発想と呼ぶべきものがあり、それは神によって選ばれた民であって、世界の一種の模範とならなければならないとする自覚がある。聖書にある「丘の上の町」という一種の模範意識ですね。(略)アメリカン・ウェイ・オブ・ライフも同時に世界のウェイ・オブ・ライフの基準でなければならないことになるわけです。それが「外」に向かった場合、一種の使命感となり、それを世界に伝えようという発想になる。
しかしいまやそれがなくなったとはいわないまでも、消えつつある。かつての神の代理人としてふるまえ、自らを絶対化、普遍化できていたのが、どうもヴェトナム戦争による挫折を契機として自己絶対化という精神的態度ができなくなってきている。
そこで出てくるというか、出てくるべきなのは、同じ宗教でも、絶対者の神に対して自分は罪人として相対的な存在であって、神に選ばれたというよりも、むしろ神の前には罪人であるという自己相対化意識ですね。その意味では、アメリカ社会は特別な範たるべき社会ではなく、他のさまざまな文化類型があるのと同じように、パターンの一つであるということになる。(pp.204-205)
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*1:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20140611/1402495986