「宝」・「ウタレ」・「乙名」

瀬川拓郎「王・奴隷・バッファ アイヌ社会における抑圧と友愛の歴史」*1(in 酒井隆史*1責任編集『グレーバー+ウェングロウ『万物の黎明』を読む』、pp.199-207)


「外部社会との交易のための主要漁撈に特化した社会、つまり商品生産を核とする狩猟採集民の社会」としての「近世のアイヌ社会」(p.200)。


そこでは、本州や大陸など外部社会との物々交換(商品交換)によってもたらされるさまざまな商品のうち、刀・漆器・ガラス玉・清朝の官服(蝦夷錦)など名誉威信を象徴する宝の獲得をめぐって、各地の首長らのあいだで強豪が展開していた。
宝には精霊が宿っており、その蓄積によって強大化した精霊の力によって集団成員を守護すると信じられていた。宝はまた一種の貨幣として婚姻や贖罪あるいは猟漁場獲得のためにももちいられた。首長はこのような宝をめぐる回送かの頂点に立つ者であり、宝がヒエラルキーを可視化するものとなっていた。
この競合的な社会は、ウタレとよばれる人びとによって支えられている。ウタレは、宝の対価となるサケや獣皮など商品生産に使役される首長の私的な労働力であり、他の首長らから宝を入手するためのいわば生きた貨幣、さらには宝の猟漁場を掠奪するための武力でもあった。ウタレは自由を剥奪された隷属民だったのである(ibid.)

首長の役割は、紛争の解決、戦争・交易・漁撈・儀式の指揮、共同財産の管理、成員の保護などである。ただし首長の強制力がおよぶのは集団全体にかんする事項にかぎられ、また集団全体の問題であっても、重大事項は全体の合議によって決定された。
和人から乙名ともよばれた首長は、剛強・男前・弁が立つなどカリスマ性が重視されたが、基本的に共同の祖先神を祀る本家の家長であり、嫡男あるいは同じ血統の者が世襲した(高倉一九四二*2)。首長の血統は神格化されており、日高の首長バフラは九代以前にさかのぼる神を始祖とする家系を伝え、湧別には実際に神とよばれて尊崇された首長もいた(瀬川二〇〇七*3)。これらの首長を束ねる地域全体の統括者は、惣乙名・惣大将とよばれた。
各地の首長は、複数抱えていた妻女との婚姻関係をつうじて他地域のアイヌと連携し、勢力を拡大するとともに、他の有力アイヌの横暴に対して勢力のバランスをとっていた。厚岸の首長イコトイは厚岸に六人、千島のエトロフ島などに一〇人の妻女を、また留萌の首長トビラスは一三人の妻女を抱えていた。ちなみにトビラスの住居は、蓆一〇〇枚敷の広さであったと伝えられる。
一方ウタレは、江戸時代の記録では「奴婢」「下男・下女」「家来」・「召仕」などとされた家族以外の世帯構成員であり、代々世襲されたとの記事もみられる。生活に窮したアイヌを寄寓させたのがウタレとする説もあり、このケアの側面は否定できないが、過失の賠償の代わりにわが身を差し出し、ウタレとなる場合が多かったとされる。
首長以外にもウタレを抱える者はおり、一九世紀初頭の厚岸アイヌの場合、ウタレを抱えていたのは全一五四戸中八人いたが、首長のイコトイのウタレは三五人、それ以外は1~八人と首長のウタレの数が突出していた。イコトイは、これらのウタレをしたがえて千島のウルップ島へ渡海し、ラッコ毛皮など本州向けの交易品の生産に従事していた。石狩川筋を治める惣大将ハウカセのウタレは一千人ほどであったという。(pp.200-201)

*1:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2025/11/08/122439

*2:高倉新一郎『アイヌ政策史』。

*3:瀬川拓郎『アイヌの歴史――海と宝のノマド』。