「冒瀆」と「良識」の向こう?

沼野充義*1「「良識の限界」 新文学誕生の予感」『毎日新聞』2023年1月23日


ウズィ・ヴァイル『首相が撃たれた日に』という本の書評。「ウズィ・ヴァイルは一九六四年生まれのイスラエルの作家」で、「本書は短編や、コラムなどから一九編の作品を選んだ日本版オリジナルの作品集である」。


表題作の「首相が打たれた日に」は、兵役を終えても社会に行き場が見つからない若者の「ぼく」を語り手とする。彼が泊まる場所を探していたちょうどその日、首相が撃たれるという大事件が起こった。イスラエルではこの小説が書かれた四年後の一九九五年に、銃撃によるラビン首相暗殺事件が起きた。予言的な作品と言われるゆえんである。しかし小説の「ぼく」は「無関心だった」とあっさり言い切る。「どっちにしても、この国じゃ、撃つか、政治の話をするかで、ぼくはそのどっちにも関心がない」というのだ。

嘆きの壁を移した男」は、ユダヤ人の聖地である「嘆きの壁」をエルサレムから商業の中心として繁栄するテルアビブに移してしまうという、途方もない話。こんなふうにヴァイルの小説では、普通動かないものが一夜のうちに簡単に動かされてしまう。

そして、「もうひとつのラブストーリー」では、近未来のイスラエルで、ヒトラーアンネ・フランクのアンドロイドが恋に落ちる。アンネは言うまでもなく、ホロコーストの犠牲となった少女だ。結ばれた二人は年に一度仲良く「古き良きヨーロッパ」へ旅行する。そして、ヒトラーは窓から地上を指してアンネに言う。「ほら、見てごらん、ベルギーだ。かつては私のものだったんだよ」

(前略)「良識の限界」ではあけすけなセックスも、ホロコーストも、そしてテロさえ茶化すような書き方が試みられ、「良識の限界」がどこにあるのか、問いかけている。そこで語られているのは「テロを笑いに変えるユーモア」なのだと著者は言う。

(前略)著者は、現代イスラエルにとって深刻な話題である政治からも宗教からもあっさり距離をとり、タブーをものともせず、巧みなストーリーテリングを通して、イスラエルの現実を鮮やかに切り取って見せてくれる。その現実は混沌としたものだが、そこから新しい文学が生まれつつあることを感じさせてくれる一冊だ。