磯前順一『石母田正 暗黒のなかで眼をみひらき』*1から。
当然のことながら、石母田や藤間*2の民族概念は、戦前から戦後にかけての政治体制の変化が大きな影響を与えている。大日本帝国時代の戦中には、多くの日本人はその内実である他民族国民国家を支持したが、マルクス主義者である藤間たちは当時からその批判の帰結として、津田*3と同様に単一民族国民国家を支持していた。さらに日本の敗戦を機に「民族の衰弱の危機」を強く感じるようになった藤間は、「戦ひに破れたことは必ずしも民族の滅亡を意味するものではない。然し新たな環境に即応した拠点を見出し得ないで自己の歩むべき道を獲得する能力を失ったら滅亡である。……正に民族の危機と呼ばれる所以である」と、民族という共同性の大切さを改めて口にするようになっていた(藤間「序」『日本古代国家』)。
石母田にとって国民とは国民国家への帰属感に基づく紐帯だが、民族はそこに歴史的な一貫性の意識を伴ったものとして区別される。一方で、民衆は国家的な紐帯には還元されきらない草の根の社会的紐帯をさす。五〇年代冒頭になると、アメリカの帝国主義による千両に対抗するかたちで、日本社会ではいっそう単一民族国民国家体制が肯定されるようになる。自分の帝国か他者の帝国かを問わず、帝国を批判するなかで単一民族が本来的という考えがおのずと浮上してきたわけである。帝国主義批判は民族主義批判ではなく、むしろ韓国の例からも明らかなように、民族主義の擁護というかたちをとるほうが一般的なのだ。(pp.118-119)