旧蘇聯民族問題(メモ)

民族とネイション―ナショナリズムという難問 (岩波新書)

民族とネイション―ナショナリズムという難問 (岩波新書)

塩川伸明『民族とネイション』*1から、旧蘇聯の民族問題に関する記述をメモ;


端的にいうなら、ソヴェト政権は民族差別を単純に放置したのではなく、アファーマティヴ・アクション(積極的格差是正策)的な要素を伴う民族政策・言語政策を通した差別克服を目指し、そのことがかえって新しい問題を生んだ(略)
ソヴェト・イデオロギーが究極的には全人類の統一を掲げ、国際主義を強調したことは周知のとおりだが、そのことは単純に民族観念の否定を意味したわけではない。一つには、「帝国主義」批判の一環としての「民族自決」論があり、将来の窮極的統一は諸民族の自決という段階を経た後に実現されるものと想定された*2。もちろん、こうしたユートピア的な理念はまもなく空洞化したが、形骸としてであれ「国際主義」イデオロギーが体制の基本理念であり続けたことには変わりない。ある時期以降のソ連は「ソヴェト愛国主義」を強調するようになり、初期の普遍主義的な性格を失っていったが、抽象的な言葉としての普遍性をもつ理念が事実上特定国の個別利害推進の正当化根拠へと変質するという現象は、フランス革命における「自由・平等・友愛」やアメリカにおける「アメリカ的自由」と共通する*3
ともかく、ソ連は民族を否定・破壊しようとしたというよりも、むしろロシア帝国下で民族扱いされていなかった小集団を含めて、自決の主体としての諸民族をつくりだそうとした。そのようにして確定された民族のうち、ある程度以上の規模をもつものについては、擬似的にもせよ「主権国家」としての地位を付与し、「国民国家」の形成を推進した(ソ連邦はそれらの自発的な統合体とされた)。具体的には、諸民族言語の文章語としての創出と教育や行政での利用、民族エリートの育成、アファーマティヴ・アクション的人事政策、民族ごとの歴史研究――「国民史」の創出――などが推進された。
こうして、ソヴェト政権は独自の形で「(複数の)民族」およびそれと対応する「(複数の)国民国家」を形成してきた。一時期「ソヴェト人」という概念が強調されたこともあるが、これは「民族」カテゴリーではなく、その上位概念――エスニシティの差異を超えた「国民」としての一体性――という位置づけだった。また、「諸民族の融合」は多くの場合、スローガンにとどまり、遠い将来の目標に追いやられていた。「形式において民族的、内容において社会主義的」という有名なスローガンは、むしろ「形式ないし建前において社会主義的、内容ないし実質において民族主義的」とみられるような現実を生み出していた。(pp.110-112)
次いで、蘇聯における「民族」の「確定」−「形成」について語られる(pp.112-113)。これは両義的な意味を持つ――「ある枠での「民族」形成は、他のありうべき枠の否定でもあるから、「民族の形成」と「民族の否定」は二者択一的関係ではなく、むしろ表裏一体の関係にある」(p.113)。蘇聯における「民族」の「確定」は多分その後の中国における「民族」の「確定」に影響を与えている。
蘇聯における多数派としての露西亜人の問題;

ソ連における民族問題の顕著な特徴として、中心的な位置を占めるロシア人がその支配的位置にもかかわらずソ連体制に不満をもち、それゆえに独自のナショナリズムをもっていたという点がある。ソ連においてロシア人が中枢的な位置を占めてきたのは紛れもない事実だが、この体制はその「平等」イデオロギーの制約のゆえに、実質的な格差をあからさまに正当化することが困難だという特殊性をもっていた。「ロシア人による支配」はおおっぴらな形をとることができず、むしろ「被抑圧民族」とみなされた非ロシア諸民族への特恵政策が重視された。
(前略)アファーマティヴ・アクション的政策は基本的に非ロシア諸民族に対してとられてきたが、そのことは結果的に、ロシア人のあいだに「逆差別」意識を広める効果をもった。ソ連におけるロシア人は、一般には「支配民族」とみなされているが、彼ら自身のあいだにはそのような自意識はなく、むしろ被害者意識とルサンチマンが一般的だった。これはアメリカにおけるアファーマティヴ・アクションへのバックラッシュ(巻き返し)にも似た現象である*4
文化政策についていうなら、初期のソヴェト政権はロシアの伝統文化の総体に対して強く否定的な態度をとった。このような政策を長く保持することはできず、一九三〇年代半ば以降、そしてより決定的には独ソ戦を契機として、ロシアの伝統文化を再評価したり、ロシア語教育を他の諸民族に対して押し広めていく政策がとられるようになった。しかし、その後も、「国際主義」の看板は下ろされることがなく、ロシア以外の諸民族の文化・伝統の奨励政策も全面的に撤回はされなかった。(pp.113-114)

*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100420/1271744921

*2:レーニンと「民族自決」についてはhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090410/1239386550も参照のこと。

*3:See pp.43-44、67-68

*4:日本の「支配民族」にもそのようなルサンティマンあり。アファーマティヴ・アクションといえるような政策も殆どないのに。