宇野弘蔵

小林敏明『柄谷行人論』*1から。
柄谷行人ではなくて、宇野弘蔵*2を巡る抜書き。
『経済学方法論』からの引用;


一方に体系的に完結される原理論と、他方に無限に複雑なる具体的な過程を解明しようとする、したがってまた決して完結することのない現状分析と、この両者の間に入って原理を現状分析にその一般的基準として使用する場合の媒介をなすものとしての段階論の規定を要するのである。それは歴史的過程を理論的に解明する特殊の方法をなすものである。かくて段階論的規定は、原理論と現状分析との中間にあって、原理論のように体系的完結性を有するものではないが、しかしまた現状分析のように無限に複雑なる個別的具体性を有するものでもないということになる。(後略)(Cited in p.155)
宇野による「原理論」「段階論」「現状分析」を小林氏は以下のように解説している;

宇野は、マルクスの『資本論』がイギリスの産業資本主義をモデルに書かれたものであり、そのかぎりで歴史的制約をおびたものでありながら、しかし同時にここにはどの時代のどのような資本主義にもあてはまるような本質的な原理が言及されていると考え、そうであれば、たとえマルクスの言葉であっても、間違っているところには修正を施しながら、その作業をとおしてあらゆる資本主義に普遍的に妥当する基礎理論を再構成する必要があるとした。この研究作業が原理論と呼ばれるものである。
ところがマルクスの死後、資本主義はマルクスも知らなかったような発展を見せることになる。いわゆる金融資本が主役となる資本主義、さらにはその帰結としての帝国主義の政策である。前者に関してはヒルファーディングの『金融資本論』が、後者に関してはレーニンの『帝国主義論』がよく知られていよう。宇野はこの金融資本を基礎にした帝国主義政策を資本主義のひとつの発展段階ととらえ、原理論とは区別して、それに固有なシステムの解明が必要だと考えた。この研究分野が段階論であり、ここにはマルクスが言及しながらもまだ本格的には論究できなかった株式会社などのテーマも入ってくる。
とはいえ、原理論も段階論もいまだ現実の資本主義そのものを説明したものではない。現実の資本主義は国や発展上の事情によってそれぞれ異なっており、そのことを踏まえて具体的にとらえなければいけない。それが現状分析と呼ばれ、アクチュアルな実践にも利用できるものなのだが、とはいえその錯綜した具体的現実の解釈は任意になされるべきではなく、あくまで原理論と段階論の知見に照らし合わせてなされなければならない。(後略)(pp.155-156)
マルクス経済学」と「唯物史観」の峻別を巡って。
宇野は「経済学は唯物史観の最も重要な点をそのままは明らかにしえない」という(『資本論の経済学』、cited in p.160)。また、

マルクスの経済学は、単に社会主義的観点から資本主義を批判したというものではない。それは何人にも、その人の階級的立場の如何にかかわらず、論理的に承認せざるを得ないものとしての科学なのである。(『経済原論』、cited in p.161)
何故「峻別」しなければならないのか。

「経済学は唯物史観の最も重要な点をそのままは明らかにしえない」というこの「科学」重視の態度は、むろん多くのマルクス主義者たちから批判を受けた。いうまでもなく彼らにとって両者は不可分のものだからである。しかし、宇野は「唯物史観」の名のもとにイデオロギーが介入して資本主義の理論的解明に曇りが生じてしまうことを恐れ、理論家としてのマルクスとイデオローグとしてのマルクスを厳密に区別しようとしたのである。それはまたマルクスマルクス主義者との峻別でもある。周知のように、同じマルクス主義者の間にもそれぞれの立場によって、それぞれに異なったマルクス解釈がある。ましてそこから実践の方法を導き出そうとする場合は、その解釈の相違がそのまま「政治闘争」にまで発展してしまうことは、歴史の教えるとおりである。戦前共産党と労農党をそれぞれ代表した講座派と労農派による日本資本主義論争を経験したことのある宇野が戦後になってリゴリスティックな姿勢を貫いたことは、『資本論』という貴重な知的遺産をそうした「党派闘争」から守ろうとするところに起因していると言っていい。(ibid.)