闇バイトの人

安藤健二「あなたは解ける?嵯峨天皇の超難問。「子子子子子子子子子子子子」の読み方は…」https://www.huffingtonpost.jp/entry/decoding_jp_648e8428e4b027d92f940155


宇治拾遺物語』によると、


平安時代のこと、内裏に「無悪善」と書いた立て札が立てられた。嵯峨天皇は、学者の小野篁*1に読み方を聞いたところ、小野は「悪(さが)無くて善からん(嵯峨天皇がいなければよいのに)」と読み、嵯峨天皇を呪うメッセージと解読した。

嵯峨天皇は「この立て札を解読できたのは、お前が書いたからではないか?」と激怒。「自分は何でも読めるのです」と小野は弁明した。そこで嵯峨天皇は「子子子子子子子子子子子子」と子の文字を12個書いたものを「読め」と言った。

正解(ネタバレ)を言うと、これは


猫の子子猫獅子の子子獅子(ねこのここねこししのここじし)


ということになる。
因みに、「無悪善」のエピソードはかなり怪しい。天皇諡号天皇の死後に定まるものだ。つまり、「嵯峨天皇*2の在位中、嵯峨天皇自身も含めて、誰もこの天皇が「嵯峨天皇」と呼ばれるようになるということは知らなかった筈なのだ。
小野篁に話を戻すと、彼は夜になると地獄に下って閻魔庁で勤務していたという伝説がある。
六道珍皇寺六道珍皇寺小野篁の不思議な伝説」に曰く、


また、なぜか閻魔王宮の役人ともいわれ、昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔庁につとめていたという奇怪な伝説がある。かかる伝説は、大江匡房の口述を筆録した「江談抄」や「今昔物語」「元亨釈書」等にもみえることより平安末期頃には篁が、閻魔庁における第二の冥官であったとする伝説がすでに語りつたえられていたことがうかがえる。こうした篁の冥官説は、室町時代にはほぼ定着した。
今なお、本堂背後の庭内には、篁が冥土へ通うのに使ったという井戸があり、近年旧境内地より冥土から帰るのに使った「黄泉がえりの井戸」が発見された。そばには篁の念持仏を祀った竹林大明神の小祠がある。
http://www.rokudou.jp/legend/takamura.html
まさに闇バイトの人だったわけだ。
小倉百人一首』収録の

わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣舟
という篁の歌。
小野照崎神社*3百人一首「わたの原~」の歌人、「参議篁」こと小野篁公のご生涯」*4に曰く、

小倉百人一首でお馴染みのこの歌、一見すると「いざ、大海原へ漕ぎだす冒険の歌」にも見えるかもしれませんが、実は都を離れて隠岐に旅立つ際に詠まれた、「流罪に沈む寂しい旅立ちを詠んだ」悲しい歌です。
要するに、強がりということなのだろうけど、この歌、やはり隠岐に流された後鳥羽院

我こそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け
を想起させてしまう*5。篁の歌が隠岐へ出発する前の不安を含んだ強がりだとすれば、後鳥羽院の歌は隠岐に到着以降の諦念を含んだ強がりだといえる。ところで、篁が隠岐に配流される際のルートは浪華から瀬戸内海を通って関門海峡へ至り日本海に出るというもの。それに対して、後鳥羽院の場合は陸地(山陰道)ルート。後醍醐帝の場合も陸地だった。篁の孫に小野道風がいる。また、小野小町*6も篁の孫娘であるという説もある。
Wikipediaを見てみると、小野氏の道風や小町の世代以降の記述がない。道風やその兄弟である小野好古に子どもがいるという記述はあるのだけど。