一橋屋敷

8月3日。

一橋徳川家屋敷跡*1。丸紅本社。千代田区大手町1丁目*2


一橋徳川家屋敷跡

一橋徳川家は、寛保元年(1741年)徳川八代将軍吉宗の第四子宗尹が江戸城一橋門内に屋敷を与えられたことがはじまりである。
一橋家・田安家・清水家は御三卿と呼ばれ、御三卿は将軍家に跡継ぎがなく、御三家(尾張紀伊・水戸)にも将軍となりうる該当者がいない場合に将軍を送り込める家柄で、従万石の格式をもち、直属の家臣団を持たず、将軍家の身内として待遇された。
当家は、二世治済の長男家斉が十一歳将軍となり、水戸家より入った一橋九世が徳川最後の十五代将軍徳川慶喜であり、御三卿の中でも幕政に深く関わった。
敷地は広大で、この一角のほか気象庁・大手町合同庁舎付近まで及んでいた。


Site of the former Hitotsubashi Tokugawa family mansion

The Hitostsubashi family traces the roots back to 1741 when the eighth Tokugawa Shogun, Yoshuimune, gave his fourthh son, Munetada, the mansion inside the Hitotsubashi gate of the Edo castle.
The Hitotsubashi family rose in importance and produced the eleventh and fifteenth shogun.
The fifteenth, Yoshinobu, was the last shogun in Japan.