東照宮(メモ)

船橋御殿跡と東照宮」『Ciao』(新京成電鉄)160、p.8、2022


新京成のPR雑誌に船橋の「東照宮」のことが出ていたので、少しメモしておく。


(前略)鷹狩りを好んで催していた徳川家康は、「お茶屋」や「御殿」と呼ばれる休憩所や宿泊所を各地に建てさせ、狩猟の際に利用していました。1614年前後には2度にわたって上総東金で狩りを催しており、その頃に現在の船橋市本町4丁目*1周辺に造られたのが「船橋御殿」でした。御殿の敷地は海老川の西側の土手まで広がっており、その面積は3~4ha余りあったと推定されています。1615年11月25日、東金からの帰路についた家康は、女房たちの他、武士や足軽など数十人を伴い「船橋御殿」に宿泊しました。翌年、74歳でこの世を去ることになる家康が「船橋御殿」に宿泊したのはこの一回のみでしたが、家康の三男・秀忠が数回にわたり宿泊や休憩に利用したといわれています。
その後、将軍家の東金での鷹狩りが催されなくなり、1670年代に船橋御殿は廃止されました。船橋御殿の土地は船橋大神宮*2宮司・富氏に与えられ、その大部分は開墾されて畑地となりましたが、御殿跡地の中心地には家康を祀る東照宮が建立されました。