どんな「権力」?

SPA! 独身中年男性調査隊「45歳「子供部屋おじさん」の苦悩。友達はゼロ、バイト先はクビ…理想と現実とのギャップに耐えられずアルコール依存症に」https://news.yahoo.co.jp/articles/ef0577d832a27f95578a487102d99ab61fe0dc5c


ここで言及されている「小説家を目指している」おじさんだけど、その動機は「小説家になって権力を手にし、僕をネクラだとバカにしてきた同級生たちに仕返しする」ためなのだそう。典型的なルサンティマンだと言える。でも、同時に「小説家にな」ることによって獲得できる「権力」って何なのだろうか? と思った。お前は石原慎太郎になりたいのか? でも、慎太郎の「権力」は国会議員とか東京都知事になったことによるものであり、「小説家」であることに由来するものではない。勿論、「小説家」であることは、彼が政治家として「権力」を獲得する上で幾らかの貢献をしたということはいえるだろう。或いは、自分を「バカにしてきた同級生たち」が 文学関係の出版社の編集者になっていて、「小説家」になれば、(編集者である)「同級生たち」に対して、無理難題をふっかける〈暴君〉として振舞えると考えていたのだろうか。普通、ルサンティマンを抱えて「小説家」を目指す目標として容易に思いつくのは、自分を「バカにしてきた同級生たち」のことを小説のネタにすることだろう。まあ、ルサンティマンの発露ということを自覚しているのかどうかはともかくとして、知り合いを小説のネタにして、挙句の果てに、名誉棄損だとか何だかで訴訟を起こされる、というのは時々は耳にする文学史的なエピソードなんじゃないだろうか。記事の最後で、このおじさんは「実は小説も一度たりとも完成させたことがないんです」と告白している。思ったのだけど、最大の問題は、「理想と現実とのギャップ」とかではなく、何を書くのかということが定まっていなかったということなのではないだろうか。だから、自分の生が小説のネタの宝庫だということに気づかない。ここで語られている学歴コンプレックスから「大学生のバイト」に暴力を振ってバイトをクビになったエピソードとか、もう少し具体的な描写を足せば、けっこう面白い小説になるんじゃないか? そもそもが、「現実逃避」のために酒に溺れて、そのことを反省したり・開き直ったりするって、近代日本文学(私小説)そのものなのではないだろうか? 自分自身も含めて世界の森羅万象はネタであるという作家精神の欠如? 
ということで、高橋順子さんの『夫・車谷長吉*1を久しぶりに捲ってみたいと思った。