機械にDV

向田邦子「殴る蹴る」(in 『無名仮名人名簿』*1、pp.127-132)


曰く、


機械がいうことをきかないといって、ぶん殴るのは、子供の頃から身近かで眺める光景であった。
ガアガアと雑音の中に本物の音がまじり、それもしばしば聞こえなくなるラジオを、父はよく張り倒して聞いていた。
ぶん殴ると、真空管か何かの具合でも変わるのか、いっときは聞こえるのである。
廻っているうちに、人間の方へ唸りながら擦寄ってくる扇風機というのもあった。畳の方がかしいでいたかも知れないが、これも、
「馴れ馴れしいぞ、この野郎」
などと言いながら、小突いたり、蹴っ飛ばしたりすると、一瞬恐縮したように唸り声を低目にし、首うなだれて前進をやめていた。(pp.129-130)

こういう育ち方をしたせいか、今でも機械を使いこなすのは、頭ではなく腕っ節というところがある。何かあると、どうして具合が悪いのか考える先に手が出てしまう。
パチンコ屋で、チューリップが開いたのにタマが出ないと、ベルを押さないで、
「出ませんよォ」
台のガラスを叩くのである。
駅の自動券売機から切符が出ない時も同じで、まずひとつふたつ殴ってみる。
これは私だけではなく、今の日本人の半分は、特に戦前・戦中派と呼ばれる年恰好には多いのではなかろうか。
先だっての夜ふけ、ある自動販売機のコーナーをのぞいたところ、ワンカップ大関を手にした中年の男が、ひとつの機械に向って、口汚く罵りながら、殴る蹴るの暴行を加えている。
どうしても当てにしていたイカ燻かなにかのおつまみが品切れなので、腹を立てているようだった。(pp.130-131)
まさに、機械に対するDVだと思うのだけど、加害者のルサンティマンという問題もあり、所謂(そもそもの意味の)人に対するDVとも共通するところがあるのでは?

相手が自分の思い通りにならないと、カッとなり八つ当たりをするからこうなるのだが、こういう手合いと雖も、鍋釜や庭帚に殴る蹴るの狼藉はしない。ややこしく、むつかしそうな電気製品などの機械類が多いのである。
たかが機械のくせに自分より教養もあり頭がよさそうである。どうして音が出るのか走るのか物が映るのか、いくら考えても理屈が判らない。判ったような顔をして使ってはいるが本当のことはチンプンカンプンである。値段も高い。一どきには手が出ないから月賦である。
どうもテキはそのへんを見すかしているらしく、ツンと取り澄まして小面憎い。
それでも、ちゃんと動いて物の役に立っている間はいい。いったん、動かなくなると、常日頃、押さえている不満が爆発する。
「お前の方が賢いと思って下手に出ていたが、なんだい、おかしいじゃないか」
(後略)(p.131)