「因果関係」への道

大竹文雄*1「実験困難分野での信頼性革命に期待」『毎日新聞』2022年1月8日


松林哲也『政治学と因果推論』という本の書評。
選挙で「現職」は有利なのか? 投票率が上がると自民党が有利になるのか?


(前略)生物学や工学の専門家なら、実験すればいい、と考えるだろう。現職有利かどうかを調べるには、見かけも経歴もそっくりで、全く同じ能力の人を2人探し出してきて、片方は現職の政治家、もう片方は新人候補にした上で、どちらが当選するかしれべればいいのだ。投票率が高いと自民党が有利になるかどうかを知りたいのなら、投票を義務化した場合とそうでない場合、自民党の得票率が変化するかどうかを調べればいい。
もちろん、現実社会でそのような実験は不可能だ。しかし、データをうまく使いこなせば、あたかも実験をしたのと同様に、因果関係を特定できる場合がある。その手法を発展させたのが、カード、アングリスト、インベンスの3人の研究者たちであり、2021年にノーベル経済学賞が授与された。経済学分野では、彼らの貢献により、1990年代から因果関係を明らかにする因果推論の手法が使われるようになった。その結果、経済学の実証分析における「信頼性革命」を引き起こした。
経済学分野における信頼性革命は、その後、政治学や公衆衛生など、実験研究が困難な他の社会科学分野にも広がっていった。新しい研究手法が本当に広まるには、時間がかかる。新しい手法を身につけて研究成果を出した優れた若手研究者が増えてくる必要があるからだ。著者の松林哲也氏は、因果推論の手法を駆使し、非常に興味深い研究を政治学・公衆衛生の分野でつぎつぎと行なっている。本書は、因果推論の基本を解説しながら、政治学の分野での彼の研究成果をまとめたものだ。

因果推論の手法も万能ではない。入手可能なデータだけでは、因果関係を秋r高にできない場合も多い。因果推論の弊害や政治学との関係についての最終章の議論は、社会科学一般にあてはまる重要な指摘だ。

松林氏は、自殺に関する研究でも優れた成果をあげている。新型コロナと自殺、学校での自殺、メディア報道と自殺など政策的にも重要な研究が多い。因果関係を誤って解釈すると、効果がない政策に多額の予算が使われるだけで、問題の解決にならないことになる。(後略)