森鷗外/柳田國男

鶴見太郎柳田国男への影響」『毎日新聞』2020年3月14日


森鷗外柳田國男について。


『めざまし草』などを通じて鷗外と交流のあった兄・井上通泰を介してその知遇を得たのは、柳田がまだ十代半ばのことであり、時期的には上田敏や木下杢太郎に先んじていた。人生の最も多感な年代に出会ったことは、その後も柳田における鷗外像を強く印象付けた。
明治維新による社会変動に翻弄された地方知識人の家に生まれ、上京して勉学に励み、大学卒業後、軍医として激務の間にあって文学的な想像力を磨いた鷗外は、まさに柳田にとって自分と多くが重なる先行者と映った。抒情詩人として出発し、長じて農政学を専攻して官僚として地方視察に日を送った柳田にとって、文学と学問、そして政治は枝分かれすることなく互いに緊張関係を保っていた。ヨーロッパの学問、思想に通暁する一方、その世界に足を取られることのない人間像を示した点で、柳田にとって鷗外は参照すべき一つの型として捉えられた。

(前略)鷗外はリルケの戯曲「家常茶飯」を訳出するにあたって、劇的な要素を排することで日常に秘められた感情を描き出す同作品の手法に「イプセンのやうな細工」にはない静かな迫力を見出しているが(「家常茶飯附録 現代思想(対話)」)、つとめて感情を抑制し、土地の伝承を綴った『遠野物語*1の魅力にも通じるところがある。鷗外の文学上の仕事には翻訳を通してヨーロッパとの比較・照合を行いつつ、自身の創造性を高めたことについては知られているが、柳田には自分がヨーロッパ文学に接する際、鷗外を介することで読む視点を養ったという意識があった。
遠野物語・山の人生 (岩波文庫)

遠野物語・山の人生 (岩波文庫)


その柳田は鷗外の死後、より深く民俗学に係っていく中で同じ土地に数世代住み続けた人々の間で形成された言葉以前の「心意伝承」という翻訳不可能な世界に直面する。ただし、長い時間をかけて資料収集を行い、海外との比較に堪える基盤を整えれば、道は開けるという可能性は残した。昭和に入って提唱された「一国民俗学」もまた、控えめながら将来的な「世界民俗学」への射程を含んでいた。その後景の一部に、かつて鷗外という得がたい指南役のもとで外国文学を見渡した体験を読み取ることができるのではないか。
最後に言及された「一国民俗学」については、柄谷行人『世界史の実験』*2も参照のこと。また、この柄谷本にも鷗外は登場している。
世界史の実験 (岩波新書)

世界史の実験 (岩波新書)