「殺人」としての無為

承前*1

朝日新聞』の記事;


糖尿病男児インスリン投与させず 最高裁が殺人と認定
阿部峻介 2020年8月25日 18時16分



 栃木県で2015年4月、治療と称して1型糖尿病を患う男児(当時7)にインスリンを投与させず衰弱死させたとして、殺人罪に問われた建設業近藤弘治(ひろじ)被告(65)=同県下野(しもつけ)市=の上告審で、最高裁第二小法廷(草野耕一裁判長)は被告側の上告を退けた。24日付の決定で「死の現実的な危険を認識していた」と述べ、死んでもやむを得ないという「未必の殺意」があったと認定した。一、二審判決の懲役14年6カ月が確定する。

 裁判では、母親から相談を受けた被告が男児インスリンを投与させないようにした行為を殺害と認定できるかが争点だった。

 第二小法廷は、被告は医学に頼らずに「難病を治せる」と標榜(ひょうぼう)し、母親に「インスリンは毒」「従わなければ助からない」としつこく働きかけて投与をやめさせたと指摘。「命を救うには従うしかない」と思い込んだ母親を「道具として利用」し、治療法に半信半疑だった父親も母親を通じて同調させたと指摘し、殺害行為に当たると判断した。

 弁護側は「インスリンを打たないと決めたのは両親で、治療費を受け取った被告が死をやむを得ないと考えるはずがない」と無罪を主張していた。

 一、二審判決によると、被告は14年末に母親の依頼で「治療契約」を結び、インスリンがなければ死に至ると理解しながら15年4月6日を最後に投与させず、同27日に死亡させた。県警は両親を保護責任者遺棄致死の疑いで書類送検し、宇都宮地検はいずれも不起訴(起訴猶予)としている。(阿部峻介)
https://www.asahi.com/articles/ASN8T61B0N8TUTIL03G.html

インスリンを投与させない」という無為を積極的に強要したという積極的無為。
判決によれば、近藤はインスリンを投与しなければ死ぬという現代医学に基づく常識を共有していたことになる。このことと「 インスリンは毒」という信念の兼ね合いはどうなるのだろうか。それはビジネスのためのネタということになるのだろうか。弁護側は「インスリンを打たないと決めたのは両親」と責任を転嫁しているが、判決では両親の決定に対する近藤のしつこい強要を認定している。「治療費を受け取った被告が死をやむを得ないと考えるはずがない」。「 インスリンは毒」説を本気で信じていたなら、そうかも知れない。でも、結果として子どもの死がもたらされた。本気で信じられた、誤った信念の帰結の責任はどう追及されるべきなのか? このことは政治的な問いにも接続される。政治家が共産主義とか新自由主義といったイデオロギーを本気で信じた帰結として人民の生命や生活に多大な危害を与えた場合、その責任はどのように追及されるのか?