An essentially contested concept

山本圭『現代民主主義』から。


民主主義もまた「本質的に論争的な概念」である。その用語で統治者(支配する者)と被治者(支配される者)の一致を指すこともあれば、人民主権のことを念頭に置く人もいる。そのほかにも、市民のあいだの政治的平等、多元主義、市民の政治参加、暴政に対する抵抗など、その説明も論者によってまちまちである。
そのため、この言葉が喚起するイメージも様々である。多くの人にとって民主主義とは何よりもまず、議会制や選挙制度といった形式である。それは日常にあっては、国会での気の抜けた答弁や、政治家の辻立ちや選挙ポスター、あるいはいつのまにか郵便受けに投函された投票用紙といった特段高揚もないものだろう。民主主義は目の前の現実として、ぼんやりと「独裁よりはマシなもの」程度に思われているに違いない。
他方で民主主義は、圧政や抑圧に対して人々が「ピープルズ・パワー」を訴えて立ち上がる、そうした心を揺さぶる出来事としても語り継がれてきた。古くはフランス革命アメリカ独立革命があり、二一世紀に入ってからも米国のオキュパイ・ウォールストリートや香港の雨傘革命が広く注目を集めた。
日本でも二〇一一年以降、原発の再稼働や安全保障関連法案に対する大規模な抗議運動などで、民主主義が運動を象徴するキーワードになり、「This is What Democracy Looks Like」と何度もコールされた。さらに、途上国や独裁体制のもとにある国では、普通選挙の実現が人々の希望になることも珍しくない。確かに民主主義には、自由と平等を求める人々の情念を奮い立たせるところがある。
また、民主主義が人々の生活様式や共同体の文化として語られることもある(後略)(pp.ii-iii)