都市/農村(メモ)

極限の論理 (1970年)

極限の論理 (1970年)

酒井角三郎「沈黙の論理と暴力の意味――戦後民主主義啓蒙主義的体質――」*1in 『極限の論理』筑摩書房、1970、pp.133-159


曰く、


(前略)いまでは暗黒政治の権化とされているスターリン独裁にしても、その一面は、レーニンやとくにトロツキーの極端な都市中心、農村の搾取政策が農民の無言の反撃としてあらわれた姿に違いないのである。最近の社会主義諸国における非スターリン化、自由化の雪どけは、スターリン死去という、「八・一五」以来の戦後民主主義に対比すべき、知識層の民主化運動である。それがジグザグなのは、ちょうど日本の戦後民主主義と逆コースの拮抗する往復運動に比べることができるだろう。
現在、スターリン主義の農民的側面を極限まで押し進めている毛沢東主義が、広く世界の農村である第三世界から、世界の都市である先進地域を包囲するという革命戦略を描き出すことによって、世界的な民主主義の二重構造に、象徴的なアンチテーゼを提出することができたことは興味深い。しかも注意してよいことは、その図式のなかで固持されている武力革命図式である。それは、ボー・グエン・ザップゲバラ、ドブレ、ファノンといった一連の第三世界の暴力理論の一環となって、相互に反響し合いながら、さらに先進諸国内部におけるブラック・パワー、ステューデント・パワーなどの暴力性にまで照応しているのである。暴力の問題は、”話し合い民主主義”において裏側に追放された論理の核心を占める事柄なのである。(p.147)
酒井角三郎は大江健三郎と「ほぼ世代を同じくする」という(p.135)。1960年代の論客として今でもその名前を偶には聞くことがあるが、1970年代以降の消息については、まだ存命なのか否かということも含めて、全く知らない。識者のご教示を乞いたい。

*1:初出は『中央公論』1968年8月号。