「義務教育」は何時成立したか

木村元『学校の戦後史』*1から。
日本において「義務教育」は何時頃成立したのか。


義務教育は、子供を学校にやる義務を保護者に課すことと考えがちであるが、そもそも学校がなければ就学させられない。その意味で、義務教育は就学義務と学校設置義務が前提となる。一八八六年に学校種別ごとに小学校令、中学校令、師範学校令、帝国大学令からなる学校令(勅令)が定められ、小学校においては保護者が子を就学させる義務が示された。その後一八九〇年に改定された第二次小学校令では、市町村を設置者とする学校設置の義務が定められた。
しかし、子どもが学校に行くことを阻む実際の障壁となっていたのは、児童労働である。就学保障義務の要件が整い、実質的な就学が保障されたことを条件として考えるならば、一九〇〇年の第三次小学校令において、学齢児童の雇用者に対して就学を妨げてはならないという規定が示されるまで待たねばならない。日本の義務教育は、二〇世紀前夜の一九〇〇年にそれまでは三年制も認めれていたのがすべて四年制に統一され、一九〇七年には六年制に延長された。(pp.41-42)
人々の学校受容という意味での、「義務教育」の成立は何時頃か。『文部省年報』によれば、小学校の就学率は、1900年には90%を超え、1907年には100%に近づいている。

しかし、近年の研究では、年報をはじめとする文部統計においては学齢児童の数が正確に把握されていないという点が明らかにされている。さらに、二〇世紀に入っても女子を中心に多くの生徒が卒業にまで至らないで中退していたという現状が指摘されている。子どもたちが学校に行くことが当たり前になるのは、もう少し時期を経ねばならなかったといえる。土方苑子によれば、入学者が中退することなく小学校を卒業するようになるのは一九三〇年代とされており*2、加えてこの時期には、強制されなくとも次の学校(初等後教育機関)に進むという行動がとられるようになった。進んで学校を受け入れるようになった一九三〇年代に至って、人びとが学校を受容したと、筆者はとらえている。(pp.43-44)
ところで、大日本帝国憲法は「教育の義務」を規定していない。それは「超憲法的な義務」、「天皇の「仁恵」による「恩恵」として位置づけられていた」(p.42)。