「近代の学校」とは

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木村元『学校の戦後史』から。


(前略)本書の対象である「戦後の学校」は、誰でもが行くことを前提とする近代の学校であることを確認しておきたい。近代以前にも文明社会の成立とともに学校の存在が確認されているが、それはその社会の支配者たちのためのものであり、誰にとっても必要なものとして設けられたわけではない。その意味で、「近代の学校」(以降、近代学校と称する)と近代以前のそれとは区別して用いる。
近代学校の原形は、一八世紀末の産業革命下のイギリスに見出されるが、ある生産段階に至った社会に適応する人間をつくりあげるという近代社会の課題に対応するために生み出されたものである。近代学校のもっとも基本的な性格は、「教える」という文化伝達を軸にして、生活の場から距離をとって構成された特別の時空間に、対象となるすべての子どもを一定の期間収容するところにある。近代以前は、共同体社会(ムラ)の統治や職業技能の伝承など、新しい世代が先行の世代の文化を「学ぶ」ことで結果として人づくりが行われていた。実際には、ムラで生きることがそのまま人づくりにつながっており、圧倒的に長い期間はこのような村の人びとのなかに埋め込まれた人づくりが行われていた。これに対して学校は、「教える」という強い意図性に貫かれた特別な場での人づくりであった。(pp,2-3)
また、

こんにちの日本の学校は、西洋から輸入されたスクール(school)を原形としている。スクールは、独語のシューレ(Schule)、仏語のエコール(ecole)と同じく、ギリシャ語の余暇という意味がこれにあたる。余暇と学校が結びつくとはどういうことか。学校の特徴は、生活から離れた特別な時空間での文化伝達である。そのためには日々の労働に縛られないことが必要である。学校とは労働からの解放による余暇を必要条件としているという意味で、その語源は正鵠を射ている。
メソポタミアエジプト文明期には学校があったことが確認されているが、日本では六七〇年頃につくられた学職*1に淵源を持つとされている。このように、生産の向上による余剰時間の確保と、生産における人やモノの管理のための文字の必要性が、特別な時空間で文化伝達を行う学校を要請したのである。
学校の起源自体は古いが、そこに通えるのはあくまでも一部の為政者やその周辺の人びとに限られていた。学校による文化伝達が一般の人びとのレベルで行われるようになるのは、近代社会になってからである。
近代以前の共同体における文化伝達は、職人の技能の伝達のありように端的にみることができる。たとえば、中世の靴職人は弟子たちに靴の作り方を指導するわけではない。弟子は親方と生活を共にして、親方の技を学ぶ(=盗む」)のである。靴職人の文化の伝達の基本は、象徴的にいうならば「一生懸命いい靴を作る」ということである。弟子たちは、親方が一生懸命働き生きる姿のなかに刻み込まれた、靴作りの技を習得するのである。(pp.21-22)

*1:「ふんやのつかさ」というルビ。