Marilia Mendonça

朝日新聞』の記事;


ブラジルの国民的歌手が墜落死 フォロワー3900万人、26歳歌姫
坂本進2021年11月6日 10時58分


 ブラジル南東部ミナスジェライス州で5日、同国の人気女性歌手、マリリア・メンドンサさん(26)*1らを乗せた小型機が着陸直前に墜落し、メンドンサさんを含む5人が死亡した。

 ロイター通信によると、メンドンサさんはコンサート出演のため、南東部の都市に向かっていた。地元当局は、電線に接触した後に墜落したとみて調べているという。

 メンドンサさんは、ブラジルのカントリー音楽「セルタネージャ」*2の歌手で、2019年のラテン・グラミー賞で、セルタネージャ音楽のベストアルバム賞を受賞した。インスタグラムのフォロワー数は6日現在、3900万人を超える*3メンドンサさんの死を受けて、ボルソナーロ大統領はツイッターで哀悼のメッセージを投稿した。(坂本進)
https://www.asahi.com/articles/ASPC63FS0PC6UHBI00B.html

See also


“Marília Mendonça: Popular Brazil singer dies in plane crash at 26” https://www.bbc.com/news/world-latin-america-59186654
Rodrigo Pedroso and Taylor Barnes “Marília Mendonça, chart-topping Brazilian musician, dies in plane crash” https://edition.cnn.com/2021/11/05/americas/marilia-mendonca-brazil-plane-crash/index.html
ハフポスト日本版編集部「ブラジルの人気歌手マリリア・メンドンサさん、墜落事故で死亡。コンサートで移動中に」https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_61862891e4b0ad6f58838012


飛行機事故で逝ってしまったミュージシャンといえばバディ・ホリーリッチー・ヴァレンス*4。また、サザンン・ロックのレイナード・スキナード*5。そして、坂本九


ところで、「ブラジルのカントリー音楽「セルタネージャ」」について;


岸和田仁「セルタネージャ音楽再考」『ブラジル特報』(日本ブラジル中央協会) 2011年9月号 https://nipo-brasil.org/archives/2191/


曰く、


彼女*6の属する音楽潮流、ムジカ・セルタネージャは、中西部から南東部にかけての農村地帯(現在の州でいくと、サンパウロ州内陸部、南北マトグロッソゴイアス、ミナスジェライス)において19世紀から庶民に歌われてきたカイピーラ(田舎者)音楽の現代風呼称である。米国のカントリー&ウエスタンが、東部のアパラチア山脈地方の地元音楽から発展して全米に広まったように、“近代化された”セルタネージャは1980年代から“農村から都市へ”広まっていく。その象徴的な例がカウボーイ装束を導入したドゥオの「シタンジーニョ&ショロロ」と「レアンドロ&レオナルド」であった。

 しかしながら、日本の演歌と同様に、庶民の心情をわかりやすい大衆的な歌詞で表現するセルタネージャは、サンバやボサノヴァといったブラジル的アイデンティティーを内発的にも外発的にも発信する“正統派”に比して、“俗流”とこれまでみなされてきたのも事実だ。それは、知識層や音楽批評の玄人筋からばかりでなく、一般都市中産層においても同様であった。すなわち、リオやサンパウロといった大都市の住民層は、主人家族がボサノヴァといったMPB(ブラジルポップ音楽)を聞いている横で、家政婦たちは携帯ラジオでセルタネージャを聞く、という構図が長い間続いていたのである。(ちなみに、在日のデカセギ日系人の多くが愛好する音楽もセルタネージャである。)


この音楽社会学のフレームに変化が現れ、セルタネージャ受容度が国民全体に広がっている。総合週刊誌ヴェージャ(6月22日号)によれば、所得水準の一番高いA,B層の場合、2年前の2009年の調査では、セルタネージャを普段よく聴くのは26%であったが、今年の調査では、これが35%に急上昇、このうち半数以上が女性だ。中産層以下のC,D,E層の場合は、50%がセルタネージャ・ファンである由だ。
 おそらく、これはブラジルのマクロ経済の成長に伴い、国民一人当たりのGDPが1万ドルを超えたという経済的現実との関係を指摘できよう。すなわち、都市化によってかつて人口の過半数を占めていた農村人口の多くが都市に移動したため、中産化した都市住民が“農村シンドローム”ともいえる牧場・農場への憧れをセルタネージャ音楽を聴くことで癒している、という社会学的解釈だ。
また、


国安真奈「セルタネージャ・ミュージックとブラジル音楽事情――ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス 講演と上映シリーズ」http://www.athenee.net/culturalcenter/special/special/kuniyasu_pds.html


曰く、


(前略)日本でブラジル音楽と言えば、ボサノヴァやサンバをイメージされる方は多いと思いますが、このふたつはリオの都会で発達した音楽で、ブラジル音楽のなかのごく一部にすぎません。今日、皆さんがご覧になる『人生の道~ミリオナリオとジョゼ・リコ』で聴くことができる音楽は、ムージカ・セルタネージャとかムージカ・カイピーラと呼ばれるジャンルです。カイピーラとはサン・パウロ州スラングで「田舎」のことですので、田舎の音楽といった意味になります。サン・パウロ州を中心にミナスジェライス州パラナ州バイーアの南の方、リオの一部、それからマット・グロッソにまたがって、かなり広範な地域になりますが、そういう地方の田舎で伝えられてきた音楽です。そういった所はインテリオールと呼ばれています。海岸部に対する内陸部、という呼び名ですが、要するに農村地帯です。牧草地などがある所に人々が集落をつくって住んでいる。アメリカの農業地帯を想像していただいたらよろしいかと思います。ムージカ・セルタネージャにつきましても、カントリー・ミュージックのブラジル版だとイメージしてください。そういった音楽が好まれているブラジルの農村地帯にはカウボーイがたくさんいまして、彼らの外見やスタイルはアメリカのカウボーイそのままなんですね。ロデオ大会もよくやっていますし、サーカスの巡業があったり、カントリー・フェアと言うのでしょうか、農産物の展示会、見本市が行われたり、いわゆる田舎のお祭りなんですけど、そういった会場に欠かせないのがセルタネージャ・ミュージックのライヴなんです。

 そのセルタネージャ・ミュージックを先ほどブラジルのカントリー・ミュージックと申し上げましたが、やはり違うところもありまして、そのルーツを調べていたら面白いことが分かったのでご紹介いたします。セルタネージャ・ミュージックは主に1920年代頃から一般的に知られるようになってきたと言われています。ただ、それ以前から、モーダ・ヂ・ヴィオラという名で呼ばれていた音楽がありまして、これが元になってセルタネージャ・ミュージックが生まれたらしいのです。モーダ・ヂ・ヴィオラとは、ヴィオラを使う音楽という意味ですが、このヴィオラは日本で言うところのヴィオラ、ヴァイオリンに似た楽器ではなくて、ギターもしくはマンドリンのような楽器で、二本ずつ五組のスチール弦を張るとてもきれいな音のする楽器です。セルタネージャ・ミュージックで使われるのは、特にヴィオラ・セルタネージャ、ヴィオラ・カイピーラと呼ばれるものです。これはルネッサンスの頃にポルトガルやスペイン、イベリア半島で発達した楽器が元になっているそうです。これをポルトガル出身の植民者がブラジルに持ち込み、それが現在まで伝わっている。(後略)

また、伯剌西爾における「飛行機」の役割について語られている部分も切り取っておく;

(前略)ブラジルの国土は日本の23倍です。とにかく広い。東京のような都会もあれば、何も無い土地が延々と広がっている場所もあり、どちらかと言えば、人が住んでいる土地よりも人が住んでいない土地の方がたくさんある国です。町と町は日本のように近接していません。ある町を出ると次の町までは誰も住んでいない空間が広がっていて、これは日本では見られない光景だなあ、と思います。町と町の間の主な交通手段は長距離バスか飛行機です。町には必ずバスターミナルがあって、日本の高速バスと言うよりはアメリカのグレイハウンドバスのような大きなバスがあちこちに向けて走っている。(後略)