白クマ
コメントを取り上げていただき、ありがとうございます。
高校での政経の先生というのが少々変わった人でして、こういう本も授業のテキストに使っていたのでしたが、何故か非常に印象というか記憶に強く残っていた次第です。
元ネタ部分を長くなりますが引用します。
「「たとえば肌着というようなところにパンツであるとか、ズロースであるとか、補修の布、縫糸、タオルというようなものが、足りないながらも項目としてございますが、私共まあ日本のチベットと言われる岩手県の山岳地帯であるとか、あるいは離島ですね、あるいは農村地帯の人達、まあ、こういう極端な例を申し上げませんでも、およそ着たきり雀で、はだしでもって走り回っている子供というのが日本の児童の中で、どの位のパーセントでございましょうか、おそらく10%か20%になるんじゃないかと…。それから身廻品といたしまして、ぞうりだの、ゲタだの、今度は保健衛生費といたしまして、ちり紙、せっけんなんていうものがございますが…。日本の国民の中で、ちり紙をもって用を足すという方がどの位あるか…。…歯ブラシも歯ミガキも使えない方が一千万近くあると推定しておるんです。その中で歯ブラシ、歯ミガキが使え、体温計まで買えるというようなことまでなっておりますと、足りないながら日本としましては、文化的水準において保護は行っていると考えなければならない。」右の引用は、朝日裁判の厚生省側証人・末高信 早稲田大学教授の法廷における正式な証言である。」」
これ、1967年初版ですよね。 渡辺洋三の本は1980年代以降、何冊か読んだことはありますが、これは知りませんでした。因みに、Wiipediaは「専門の民法等のほか、日米安全保障条約体制や核兵器廃絶問題に関しても、いわゆるリベラル派の立場から積極的に発言を続けてきた」と記述していますが*1、この人は「リベラル派」ではなく、典型的な左翼(マルクス主義)法学者です。それはともかくとして、提示していただいた一節、21世紀の人が読むにはちょっと注釈が必要かもと思います。1967年の読者には必要なかったかも知れませんが。例えば、女性下着の「ズロース」とか。また、「日本の国民の中で、ちり紙をもって用を足すという方がどの位あるか…」という末高信先生*2の熱弁を読んで思い出したのは、私の大学の先輩の話。狭義における団塊の世代よりは少し下の方ですが、三里塚闘争に参加して、空港反対派の農家に泊まり込んだ。そして、その便所紙が『前進』を初めとする古新聞やアジビラだったのには吃驚したと言っていました。1970年代前半の話。
白クマ
なんかリンクがうまくいってないようですね、すみません。
「日本における民主主義の状態」渡辺 洋三 著 岩波新書 です。
たしかに、
redkitty
岩波新書『ものいわぬ農民』大牟羅 良、1958年刊の紹介サイトに
とあるのですが、これ1958年刊行当時もこの言葉で宣伝されていたのでしょうか。
私が読んだのは1980年代ですが、この本と「日本のチベット」という表現との結びつきは記憶にないです。いちばんてっっとり早いのは初版が出たときの広告を見ること。『世界』や『図書』といった岩波書店の雑誌に載っていた筈。
「日本のチベット」といわれた岩手県――その山村で,貧困と因襲を背負いながら黙々と働く農民たちは,いろり端で,行商してあるく著者に対して,自分のことばで,その生活の喜びや悲しみを語った.嫁姑の確執,二・三男問題,土地への愛着,子供や老人の姿等々.日本社会の最も深い鉱脈をなす農民たちの語る言葉に耳を傾けよう.
https://www.iwanami.co.jp/book/b267366.html