七月に死す

FNNのツィート;

NHKの報道;


江田五月参院議長が死去 80歳
2021年7月28日 19時15分


法務大臣環境大臣などを務めた江田五月参議院議長*1が28日朝、岡山市内の病院で肺炎のため亡くなりました。80歳でした。

江田五月氏は、東京地方裁判所の判事補などを経て、昭和52年の参議院選挙で初当選し、昭和58年からは衆議院議員となりました。

当時の社会民主連合の代表を務めるなどしたあと、平成5年に発足した非自民連立政権の細川内閣では、科学技術庁長官として初入閣しました。

その後、平成8年の岡山県知事選挙に立候補するため衆議院議員を辞職しましたが、平成10年の参議院選挙で当時の民主党から岡山選挙区で当選し、国政に復帰しました。

そして、党の副代表などの要職を歴任したあと、平成19年から平成22年まで参議院議長を務めました。

その後は、菅直人総理大臣の政権運営を支え、菅第2次改造内閣では参議院議長経験者としてはじめて入閣し、法務大臣環境大臣を務めました。

江田氏は、政界を引退したあとも、後輩議員たちへの助言を続けるなど、リベラル勢力の拡大に尽力してきました。

関係者によりますと、江田氏は、体調を崩して治療を受けていたということで、28日朝、岡山市内の病院で、肺炎のため亡くなりました。

80歳でした。


山東 参院議長「多くのことを学んだ」
山東参議院議長は「副議長として江田議長と一緒に活動した縁もあり、思い出は語り尽くせない。江田氏が議長を務めたうちの2年間は参議院で野党が多数を占め非常に緊張感のある与野党の攻防が続く中、全身全霊で議長職を全うされた姿から多くのことを学んだ。江田氏の遺志を大切にし、引き続き参議院が使命を全うできるよう努めを果たしていきたい。心よりご冥福をお祈りします」というコメントを発表しました。


加藤官房長官「同じ岡山県 謹んでご冥福をお祈りしたい」
加藤官房長官は午前の記者会見で「江田五月参議院議長がお亡くなりになったとの報道は承知している。同じ岡山県ということでもあり、謹んで、ご冥福をお祈りしたい」と述べました。


立民 枝野代表「偉大な政治家を失い大変残念」
立憲民主党の枝野代表は「戦後を支え平和や人権を守り抜いてきた偉大な政治家を失ったことを大変残念に受け止めており、心より哀悼の誠をささげる。私自身もその後ろ姿に政治家の在り方を学び、陰に陽に様々な教えをいただいた。江田氏が追求してきた平和と人権尊重はますます重要性が増しており、遺志をしっかり受け継ぎ互いに支え合う社会を実現していく」とするコメントを発表しました。


共産 穀田国対委員長「心から哀悼の意 尊敬する人」
共産党の穀田国会対策委員長は記者会見で「心から哀悼の意を表したい。政権交代野党共闘など、日本の政治の在りようについて見識ある発言をたびたびいただいた尊敬する人であり、惜しい方を亡くした。その遺志を継ぎ、政権交代という私たちに託された思いを実現するために全力を挙げたい」と述べました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210728/k10013164771000.html

朝日新聞』;

江田五月氏死去 悼む菅直人氏ら「市民の政治つくった」
7/29(木) 7:30配信


朝日新聞デジタル

 参院議長、法相や旧民主党最高顧問などを務めた江田五月(えだ・さつき)さんが28日8時36分、肺炎のため岡山市内の病院で死去した。80歳だった。通夜・葬儀は近親者のみで行い、後日「お別れの会」を開く。弔電・香典・供花は辞退している。

 江田氏は東京、千葉地裁などで判事補を務めた後、父で元社会党委員長代行・三郎氏の急逝を受け、1977年の参院選旧全国区で社会市民連合から初当選。翌年に故・田英夫氏や菅直人元首相らと社会民主連合を結成し、83年には衆院旧岡山1区で当選した。

 菅元首相は朝日新聞の取材に「社民連の旗揚げから一緒だった。公平にものを見る人で、常に私の兄貴分。立憲民主党につながる『市民の政治』の第一歩をつくった人」と悼んだ。

 92年に社会党若手議員らと「自民党に対抗する勢力をつくるための政策集団」として「シリウス」を結成した。96年に岡山県知事選に出馬(落選)した後、98年に民主党から参院岡山選挙区で再選。07年参院選民主党が大勝し、衆参両院で与野党の多数派が異なる「ねじれ国会」となり、議長に就任した。11年に法相に就任し、在任7カ月の間、死刑執行に署名しなかった。リベラル派の重鎮として、党憲法調査会長も務めた。

 江田氏が議長だった時期に衆院副議長を務めた横路孝弘氏は、司法修習の同期でもある。東大入学時、江田氏から誘われ、学生運動に明け暮れた。朝日新聞の取材に「よく一緒に(宣伝のための)ビラ配りや寮回りをした」と述懐。コロナ禍で最近は会えていなかったといい、「また2人で憲法の重要性、いまの改憲論の問題点を広める活動をしたいと思っていた。大きな人を亡くした」と悔やんだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/88ebaf047619c590be30f9c01440574519e81bd9

そういえば、江田氏は自らが率いていた社民連を解党し、(細川護熙の)日本新党に合流し、さらに(小沢一郎の)新進党に加わったということがある。そのとき、〈保守-革新〉の対立としての〈戦後〉は終わったんだな、と改めて実感したのだった*2