酒井政利

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音楽プロデューサー酒井政利さん死去 85歳 山口百恵松田聖子ら手がけ レコード業界黄金期の礎築く
7/19(月) 11:40配信


スポニチアネックス

 山口百恵さん(62)の「いい日旅立ち」や郷ひろみ(65)の「お嫁サンバ」などを手掛けた音楽プロデューサーの酒井政利(さかい・まさとし)さん*1が16日に心不全のため都内の病院で死去した。85歳。和歌山県出身。葬儀・告別式は近親者のみで執り行われた。

 5月9日には都内で営まれた音楽関係者の葬儀に参列。普段と変わらない様子で知人らと接していた。関係者によると5月にアレルギーの検査のため入院していたが、容体が急変したという。

 酒井さんは、立大卒業後、1961年に日本コロムビアに入社し、プロデュースした青山和子愛と死をみつめて」が日本レコード大賞を受賞するなど活躍。

 1968年にCBSソニーに入社すると、1969年にカルメン・マキ「時には母のない子のように」を手掛けてミリオンセラーを記録した。またフォーリーブスキャンディーズ南沙織さん、郷ひろみ松田聖子らアイドル黄金期と呼ばれた1970年代から300人以上のアイドルやグループを送り出し、レコード業界黄金期の礎を築いた。

 特に、山口さんについては「いい日旅立ち」「横須賀ストーリー」「プレイバックpart2」「夢先案内人」「秋桜」などを名曲を多数手がけ、1980年には引退コンサートもプロデュースした。

 2005年には音楽業界初の文化庁長官表彰を受賞した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/774d8f449b3f7f75e2c359064305739d859f8900

山口百恵を巡って、初期の「青い果実」とか「ひと夏の経験」のこと*2は、この記事ではスルーされている。「山口百恵」を有名人としてブレイクさせたのは千家和也が作詞したこれらの曲だったのだ。当時どのような議論があったかは知らないけれど、まだリアルな〈性〉を知らない女子中学生に「あなたが望むなら/私何をされてもいいわ」とか歌わせるというのはかなり残酷なことでもある。ちょっと出典は失念してしまったのだけど、当時、山口百恵桜田淳子森昌子と比べて出遅れていると認識されていて、そのギャップを克服するにはエロ路線しかないと酒井氏が考えた云々ということを読んだことがある。こうしたエピソードは訃報には相応しくないと判断されたのだろうか。