『中日新聞』の記事;
『スポーツニッポン』の記事;
70年代アイドル歌謡支えた作詞家・千家和也さん死去
2019年6月27日 紙面から
山口百恵さんのデビュー曲「としごろ」や「ひと夏の経験」、麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき」、キャンディーズ「年下の男の子」などポップスから、内山田洋とクール・ファイブ「そして、神戸」など演歌まで数多くのヒット曲の歌詞を手掛け、1970年代の歌謡界をリードした作詞家の千家和也(せんけ・かずや、本名村越英文=むらこし・ひでふみ)さん*1が13日、食道がんのため東京都内の病院で死去した。73歳、千葉県出身。葬儀・告別式は近親者で行った。
早稲田大学を中退してなかにし礼さんに師事し、作詞家としてデビュー。72年、奥村チヨさんの「終着駅」で日本レコード大賞作詩賞を受賞した。山口百恵さんのヒット曲を多数手掛けた他、安西マリアさんなど、アイドル歌謡の一時代を支えた。
殿さまキングスの「なみだの操」は74年のオリコン年間1位に輝くなど大ヒット。三善英史の「雨」、平浩二の「バス・ストップ」など、いまもカラオケの定番となっている名曲は数多い。他にアニメ主題歌「花の子ルンルン」「魔女っ子メグちゃん」なども手掛ける懐の深さだった。
本名で小説も執筆、82年に「だから言わないコッチャナイ」でオール読物新人賞を受賞した。
◆同時代の戦友
▽喜多條忠(作詞家)「ライバルというよりも、同時代の戦友だった。生み出した名曲は多いが、『そして、神戸』と『終着駅』のすばらしさは群を抜いている。ああいう詞を僕も書きたいと、心から思いました。ご冥福をお祈りします」
https://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2019062702000207.html
何方の記事でも1970年代に強く関連付けられている。ただ、1970年代後半の山口百恵が千家和也を離れて、専ら阿木燿子の書いた歌詞を歌うようになったのに表れているように、1970年代前半こそ、〈千家和也の時代〉というに相応しい。阿久悠もそうだったのだけれど、言葉の職人として、演歌からアイドルまでを手がけ・歌わせてしまう作詞家というのは、彼が最後だったのだろうか。
「ひと夏の経験」作詞家、千家和也さん死去 百恵さんら手掛け70年代席巻
[ 2019年6月27日 05:30 ]
「終着駅」や「ひと夏の経験」など数多くのヒット曲の歌詞を手掛け、1970年代の歌謡界をリードした作詞家の千家和也(せんけ・かずや、本名村越英文=むらこし・ひでふみ)さんが13日に死去したことが26日、分かった。73歳。千葉県出身。葬儀・告別式は近親者で行った。
なかにし礼さんに師事。72年に奥村チヨさんの「終着駅」で日本レコード大賞作詩賞を受賞した。性的なにおいを漂わせた中に、女性の一途(いちず)な思いを描く歌詞は秀逸。「青い果実」(73年)「ひと夏の経験」(74年)など山口百恵さんのヒット曲も手がけた。「あなたが望むなら 私何をされてもいいわ」
「青い果実」の歌詞は世間に衝撃を与えた。百恵さんは当時14歳。森昌子(60)桜田淳子(61)とともに「花の中三トリオ」と呼ばれた。百恵さんは自伝「蒼い時」で「私の心は衝撃に打ちひしがれてしまった。(中略)『こんな詩、歌うんですか』」と心情をつづっている。
酒井政利プロデューサーからタイトルの提案を受けた千家さんは、百恵さんのイメージとのギャップに悩みつつ「それを白紙にし、作品として独立させたものを仕上げることに集中した」と後に語っている。この曲から、百恵さんが大胆な歌詞を歌う「青い性路線」が始まり、「あなたに 女の子の一番 大切なものをあげるわ」と歌った「ひと夏の経験」も大ヒットした。
81年、静岡県に転居。その後は、創作活動から離れて、自然の中で執筆活動などをしていた。将棋が好きで、音楽業界に“楽将クラブ”を発会。王将戦の対局観戦に訪れることもあった。
麻丘めぐみに「わたしの彼は左きき」、キャンディーズに「年下の男の子」などを提供。アイドル歌謡だけでなく、殿さまキングス「なみだの操」などのヒット歌謡曲も手掛け阿久悠さん、安井かずみさんらと並び、時代の寵児(ちょうじ)だった。
◆千家 和也(せんけ・かずや=本名村越英文=むらこし・ひでふみ)1946年(昭21)生まれ、千葉県出身。早大教育学部中退。1970年デビュー。82年本名で書いた小説「だから言わないコッチャナイ」でオール読物新人賞。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/06/27/kiji/20190626s00041000380000c.html