「灰緑色」?

ヴァージニア・ウルフ灯台へ』(鴻巣友季子訳)*1。古い訳(中村佐喜子訳)はかなり以前に読んだけれど、(当然のことながら)ディテールは忘れている。だから新鮮な読書。


これから大遠征に出ますのよ、そう言って夫人は笑った。町へ繰りだすんです。「切手や便せん、煙草などのご入り用はございません?」カーマイケルのそばに立ち止まって訊く。ところが、いや、けっこう。彼は大きな太鼓腹の上で両手を組み、こういうご親切にはねんごろにご返答したいところだが(ここの奥方は愛想はいいが、いささか細かい質だな)そうもいかんのでね、とでも言うように、目を瞬いた。このとおり、灰緑色の傾眠にひたりきっているから、眠りはことばも必要とせず、心優しき眠気を惜しみなく広げて、あたりを包みこむ。家中を、世界中を、そのなかにいる人たちすべてを。氏がこんなありさまになったのも、先ほどの昼食の席で、飲み物のグラスになにやら数滴たらしたからだろう。そうか、だからふだんは真っ白な口髭と顎髭に、鮮やかな黄色の縞がくっきりとついているんだな。子どもたちはそう思ったものだ。いや、けっこう。氏はぼそりと答える。(p.21)
気になったのは「灰緑色の傾眠」という言葉。英語*2を確かめると、”a grey-green somnolence”であり、何だか”green ideas”を思い出した。「灰緑色の傾眠」ってどんな眠気なのか。そういえば、今引用したパラグラフにはほかにも色が出てくる。「真っ白な口髭と顎髭(moustache and beard that were otherwise milk white)」と「鮮やかな黄色の縞(the vivid streak of canary-yellow)」。