小林亜星

『スポーツ報知』の記事;


小林亜星さん死去 88歳 心不全 「北の宿から」など多数作曲
6/14(月) 16:20配信


スポーツ報知

 作曲家として都はるみ「北の宿から」や日立グループ日立の樹」などの名曲を生み出し、俳優としてもTBS系ドラマ「寺内貫太郎一家」に主演するなどマルチに活躍した小林亜星(こばやし・あせい)さん*1が5月30日、心不全のため死去したことが14日、分かった。88歳だった。

 小林さんが音楽に出会ったのは、小学生の頃。小児ぜん息のため、生まれ故郷の東京から長野・小諸市に引っ越したことで音楽にのめり込み、ハーモニカを演奏するようになった。終戦と同時に上京すると、音楽嫌いの父親に隠れ、ギターを抱えて米軍キャンプへ繰り出した。

 父のすすめで慶大医学部に進学したが、反発して3年生時に両親へ黙って経済学部に転部し、バンド活動に精を出した。1956年、大手製紙会社に入社したが、音楽への情熱は燃えたぎるばかりで、数か月で退社。作曲家・服部正さんの弟子になった。

 3~4年ほど不遇の時期を過ごしたが、61年にCMソングの処女作となるレナウンの「ワンサカ娘」が大ヒット。続けて同社の「イエイエ」も爆発的ヒットになり、CMソング作曲家の第一人者の地位を築く。その後もブリヂストン「どこまでも行こう」、トヨタ自動車「ちょっとうれしいカローラ」、ファミリーマート「あなたとコンビにファミリーマート」などを手掛けた。「ひみつのアッコちゃん」「魔法使いサリー」や「科学忍者隊ガッチャマン」「超電磁マシーン ボルテスV」「超電磁ロボ コン・バトラーV」などのアニメ主題歌の作品も数多い。

 また76年の日本レコード大賞を受賞した「北の宿から」やフジテレビ系ドラマ「裸の大将放浪記」シリーズの主題歌として親しまれたダ・カーポの「野に咲く花のように」を作曲。フジテレビ系「ママとあそぼう!ピンポンパン」の「ピンポンパン体操」や西武の球団歌「地平を駆ける獅子を見た」も手掛けた。最盛期は1年に300曲を制作し、生涯で手掛けた作品は6000曲を超えた。

 74年、役者デビュー作となった向田邦子さん脚本の「寺内貫太郎一家」ではいきなり主演を務めた。東京・谷中の石材店兼茶屋を営む寺内一家を舞台としたホームコメディー。久世光彦プロデューサーが「ドラマのアカがついていない方が、存在感が強烈に出る」と狙ったキャスティングが見事的中。小林さん演じる昭和の頑固オヤジがはまり役で、シリーズ化されるほど人気を集めた。

 ◆小林 亜星(こばやし・あせい)本名同じ。1932年8月11日、東京都生まれ。88歳。慶大卒。作曲は服部正氏に師事。CM曲は「ホラ、チェルシー もひとつチェルシー」「パッ!とさいでりあ」など。ほかにアニメ「魔法使いサリーのうた」など。76年「北の宿から」で日本レコード大賞を受賞。2015年、日本レコード大賞功労賞を受賞。趣味は釣り。
https://news.yahoo.co.jp/articles/55c0df64002510fa0765d4ac583058a930e5febf


先日作詞家の伊藤アキラが他界したときに*2、そのCMソングの代表作である「日立の樹」や「パッ! とさいでりあ」も小林亜星作曲だったということを思い出したのだった。
役者としては、『寺内貫太郎』のほかに、大林宣彦の『HOUSE ハウス』*3降旗康男の『冬の華』*4に出ていた記憶があるけど、Wikipediaによれば、最後の出演映画は犬童一心の『グーグーだって猫である』(2008年版)*5なのだった。これは失念(汗)。See also


小林亜星死去」https://kojitaken.hatenablog.com/entry/2021/06/15/070514