小田嶋隆*1「定年後、何歳まで働けばいいか考えてみた」『青春と読書』(集英社)519、pp.27-32、2019
曰く、
昭和の人間の労働観は、今のそれとはかなり違っていた。
私が就職活動を始めた当時(1980年の10月だが)の学生は、私自身を含めて、就職先選びでたいして頭を悩ませなかった。というのも、どうせどこの会社に入ったところで、やらされる仕事にたいした違いはないのだろうと、はじめからタカをくくっていたからだ。
就職を控えた学生におせっかいな助言を投げかけてくる年長の親戚の言い草も、おおむね似たようなものだった。
「いいかね、タカシ君。仕事なんてものは、いやなことをさせられた分だけお給金をもらえるという約束事なんだから、不愉快なことがあったからって簡単に辞めちゃダメだぞ」
「世の中に楽な仕事あるなんて思うなよ」
いま聞くと、どうにも後ろ向きなお説教に聞こえる。しかしながら、「職業はひとつの監獄である」ちいうこの昭和の大人達の諦念は、決して絶望的なだけの哲学ではなかった。
というのも、労働や職業へのこの冷淡極まりない決めつけは、同時に人生の快楽は職業とは別のところにあるという割り切りを教えてくれた。
であるからして、結局のところ、当時のわれわれは命がけで働く気持ちを持っていなかった。もう少し手加減した言い方をするなら、昭和の労働者は、9時5時の勤務時間を適当にやり過ごして生活費を稼ぎ出しつつ、自分の趣味や生きがいは、休日の私生活の中で爆発させようじゃないかと、そんなふうに考えて日々の労働に耐えていた次第なのである。(p.28)
思うに、この40年間でなにより変わったのは、制度や環境でなくて、われら日本人の職業観それ自体だった。
いつの頃なのか、わたくしども日本人にとって、働くことは、人生の目標そのものになった。自分で書いていてびっくりするのだが、本当にそうなってしまったのだ。
その勤労神聖化思想がいよいよ極まって、
「職業こそが人間の価値を決定する試練だ」
「人生の意味は日々の労働という営みの中で生成される」
「真に働きがいのある天職にたどりついた者だけが、本当の人生の充実感を味わうことができる」
てな調子の勤労宗教をテキスト化した自己啓発書籍の大群が書店の一番目立つ棚を占領するようになったのはざっと2000年以降だった。(pp.28-29)