「天保山」より低い

村上貴浩「日本一低い山、尼崎にあった 1966年まで地図表記、その後消滅なぜ?」https://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/202104/0014247544.shtml


兵庫県尼崎市の「菜切山」について。


阪神電鉄尼崎センタープール前駅を北に進むと、住宅街の一角に柵で囲まれた雑木林が現れる。「菜切山」。こんもりとした丘状の土地は私有地だが、市が貴重な緑地帯として手入れしている。

 そばの看板には「武内宿禰(たけのうちすくね)の墳墓として古来地区住民に畏敬されて来た」とある。古事記日本書紀に登場し、景行天皇に始まって5代の天皇に約250年間も仕えたという怪物的な伝説上の人物*1だ。山は彼の墳丘という位置付けらしい。

 古代から海が陸地化してできた尼崎市域はほとんどが海抜ゼロメートル地帯で、最も高い場所でも北部・西昆陽1丁目の13メートルしかない。そんな中にあって菜切山は市域で唯一の山と地元で言い伝えられ、国土地理院の測量記録はないものの、市は標高を「3メートルほど」としている。


 国土地理院によると、菜切山は少なくとも1961~66年には地図上に表記していた。図書館で調べると29年にも「菜切山」と記されている。

 実は山の定義はなく、国土地理院自治体の申請を受け、歴史的な伝承や資料から山で「妥当」と判断すれば地図上に表記する。

 ただ、低い山の統計はなく、「日本一」は地図を読み取った民間の調査しかない。報道では1番が東日本大震災の影響で低くなった仙台市日和山(標高3メートル)*2で、2番は大阪市天保山(同4・5メートル)として取り上げられることが多い。

何故尼崎市は「申請」を止めてしまったのか。その経緯はわからない。ただ推測によれば、

原因の一つには「墳墓」としての根拠の乏しさがあるようだ。伝承は武内宿禰が尼崎ゆかりの神功皇后に仕えたことが由縁になっているが、そもそも伝説上の人物で、墓と伝わる場所は奈良県御所市をはじめ全国に複数あるという。

 さらに尼崎市立歴史博物館が指摘する。「古墳時代に、ここはまだ海なんですよ」。つまり、伝承はあっても、近年の調査研究で古墳と定義できない以上、申請には積極的になれないということかもしれない。

日本でいちばん低い「山」は大阪の「天保山」だと思っていたのだった。
武内宿禰」の墓だということがあり得ないことは確かだけど、これまで開発されて農地や宅地になってしまうことなく「雑木林」のまま放っておかれたということは、千葉県の「八幡の藪知らず」*3のように、周辺住民が何らかの霊異或いは怪異を感じ、さらに「武内宿禰」という固有名詞と結びついて、タブー化が進んだわけだ。まあ、問うべきは「根拠の乏しさ」にも拘らず「伝承」が生まれ、タブーが強化された経緯ではないだろか。