タブーを侵して?

承前*1

初詣で成田山に行ったのだが、実は先月の29日に神田明神*2に参拝していたのだった。
Wikipediaの「神田明神」の項;


神田明神を崇敬する者は成田山新勝寺(千葉県成田市)を参拝してはいけないというタブーが伝えられている。これは朝廷に対して叛乱を起した平将門を討伐するため、僧・寛朝を神護寺護摩堂の空海作といわれる不動明王像と共に現在の成田山新勝寺へ遣わせ、乱の鎮圧のため動護摩の儀式を行わせたことによるもので、即ち、新勝寺参拝は将門を苦しめるとされるため。

なお、同じく将門を祭神とする築土神社にも同様の言い伝えがあり、成田山へ参詣するならば、道中に必ず災いが起こるとされた。将門に対する信仰心は、祟りや厄災を鎮めることと密接に関わっていたのである。

ただし、成田屋の屋号で知られる歌舞伎の市川宗家では歌舞伎十八番の一つ『鎌髭』で将門を演じており、「助六」を演じる際には魚河岸との関わりから神田明神内にある水神社への参拝を行う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%94%B0%E6%98%8E%E7%A5%9E

また、「平将門」の項;

千葉県成田市成田山新勝寺は、東国の混乱をおそれた朱雀天皇の密勅により寛朝僧正が、京の高雄山(神護寺護摩堂の空海作の不動明王像を奉じて東国へ下り、天慶3年(940年)海路にて上総国尾垂浜に上陸、平将門を調伏するため下総国公津ヶ原で不動護摩の儀式を行ったのを、開山起源に持つ。

このため、将門とその家来の子孫は、1070年以上たった今でも成田山新勝寺へは参詣しないという。また、生い立ちにもある千葉県佐倉市将門に古くから住む人々も参詣しない家が多く残り、かつて政庁が置かれた茨城県坂東市の一部にも参拝を良しとしない風潮が残るとされる。築土神社神田神社神田明神)の氏子も、成田山新勝寺へ詣でると産土神である平将門命の加護を受けることができなくなるとの言い伝えにより、参詣しない者が多い。例年NHK大河ドラマの出演者は成田山新勝寺の節分豆まきに参加するが、将門が主人公であった1976年(昭和51年)大河ドラマの『風と雲と虹と』の出演者も成田山新勝寺の豆まきへの参加を辞退した。

同じく、現在の千葉県市川市大野地区にも、将門公伝説が多く有り縁の郷とされ、現在の市川市立第五中学校の敷地は城址と言い伝えられ、校舎の裏に将門にまつわるとされる祠も祀られている。校庭の向かいの高台に建つ「天満天神社」も、将門が勧請したという伝承を持つ。また旧くからの地元住民は、板橋の名字が多く将門様の家臣と云う説が有り、地元の人々は成田山新勝寺には行かない・参拝をすると将門様の祟りが起こる、裏切った桔梗姫にちなんで桔梗を植えない、といった言い伝えを今でも聞くことができる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B0%86%E9%96%80

まあ、成田の不動明王の化身でもある市川團十郎も、言ってみれば、タブー侵しまくりなので、構わないということだろうか。
See also


雲切童子成田山平将門の永久戦争」http://www.kumokiri.net/kumo/kumo2.html
川副秀樹「神田神社神田明神)」http://www.zoeji.com/01meguri/01meguri-tonai/01-ty1-kanda/01-ty1-kanda.html
オオタマサユキ「成田山へ行くべきか神田明神へ行くべきかそれが問題だ」https://utusemibiyori.com/blog-entry-343.html
「1100年を経ても成田山新勝寺にお参りしない土地柄」http://tokyo-nagano.txt-nifty.com/smutai/2006/02/post_39de.html