褒められているのか


日東駒専」のリアルな卒業者がこういう言説を読むと、ちょっと複雑な気持ちになるというのが正直なところ。「日東駒専受かるやつは結構できる生徒」というのはそうだろう。中学時代に遡れば、学校の成績は上位10%以内、偏差値だと60以上という人が多いわけだし。(「日東駒専」として)別に「早慶はバケモンで東大は異次元」とか思ったことはないけれど、言葉では表現しにくいレヴェルでの〈差異〉を感じないわけでもない。あれっていったい何なのだろうか。ひとつには、〈天然さ〉ということと関係があるのかも知れない。〈学力〉というのが努力の産物であることはいうまでもないが、その努力が重いのか軽いのかということはある。また、その努力が重い場合、その努力によって獲得された地位への主観的執着は強くなるのかも知れない。努力が軽くてその成果が主観的には〈天然〉に近く感じられる場合、主観的執着は弱く、ゴフマンが言う意味での「役割距離(role distance)」*1が生まれると言えるのかも知れない。

*1:Cf. 『出会い』。