承前*1
小谷野敦氏のhttp://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070704に関して、ryotoさんが「学歴差別」を軸にコメントしている*2。曰く、「才能の無駄遣いではないか」と。思うに、この「学歴差別」こそ「日東駒専臭」をマークする構成要素ではないか。私の知る範囲では、高偏差値、特に東京大学の出身者や在学者が「学歴差別」的な発言をするのは聞いたことがない(小谷野さんの場合は例外か)。それどころか、そういう人たちは(少なくとも公衆の面前では)自らの学歴をひけらかすどころか、それについては自虐的に語るのが嗜みであると考えているんじゃないかと感じさせる。これは佐藤俊樹氏が『不平等社会日本』の中で語っているような日本的な階層構造に還元していいのかどうかはわからない。
- 作者: 佐藤俊樹
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2000/06/01
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ところで、
ここには基本的なレヴェルにおける取り違いというか混同があるのだろうと思う。恋愛とナンパの取り違え。上で言われていることは、恋愛についてではなくナンパについて言われているのだったら、全く正しいことだといえる。多分、手練れのナンパ師は(別に言われなくても)「目的合理主義」的に振る舞っているのだろう。この点では、小谷野氏の方が事の本質を踏まえているといえそうである。曰く、
だけど、渡部氏の、学歴じゃなくて目的合理主義なスキルアップ志向こそがまずいのかというとそうじゃないと思う。だって恋愛むきのリソースがあってもなくても、「センスや雰囲気、コミュニケーション能力」は恋愛で重要なファクターであるはずだから。現に渡部氏はやる気まんまんな「雰囲気」をかもし、尻を触るのを「コミュニケーション」と勘違いして失敗してる。仮にマニュアルにそう書いてあるなら端的にそれが使えないというだけで。逆に、いそがばまわれという諺を知っていて「とにかくやる」ために「とにくやりたい」という気持ちを悟られたらoutだと気をつけていたらどうか。成功の可能性はだいぶ変わったのでは。つまり、目的合理主義そのものがダメなんじゃなくて目的合理主義の不徹底がダメなんだと思う。よかれあしかれあらゆる手段をつくして目的を達成するにはある程度のかしこさと努力が不可欠。その点で、渡部氏がバカでダメ人間じゃないかとの小谷野氏の指摘は妥当だと思う。そりゃ「持てない」でくくられたくないわな。まぁそれを「低学歴」と結びつけるのが間違っているだけで。
http://d.hatena.ne.jp/hitoyotake/20070705
話を戻すと、ナンパの目的というのはセクシュアルな快楽を享受し・与えることといえるだろうけど、恋愛の目的はセックスにあるわけではない。恋愛の目的とは何だと訊かれても答えられないし、多分目的なんかはないのかも知れないけれど、恋愛とセックスとの関係は、付随して生起する確率が高い何物かということにすぎない。その関係は(原理的に言えば)偶然的なものであって、必然的ではない。これはまた改めて書くかも知れない。
むちゃくちゃである。私が言うのも何だが、結婚を前提につきあいたいと思っているなら、初めてのデートでセックスしようと思わないでほしい。お尻に触ったりしないでほしい。