「ほかとはちがう」

承前*1

アミン・マアルーフ『アイデンティティが人を殺す』(小野正嗣訳)から。


「身分証明書」と呼ばれるものには、氏名、生年月日、写真、身体的特徴、署名、ときには指紋が記載されています――こうした一連の指標が、誤解の余地なく示しているのは、この書類の持ち主が某という者であること、他の何百万の人のなかには、そっくりさんだろうが双子のもう片方だろうがこの人と取り違えられるような人間はただの一人も存在しないということです。
私のアイデンティティとは、私がほかの誰とも同じにはならないようにしてくれるものです。
(略)まったく同じ人など二人として存在しないし存在することはできません。(略)かりに将来、現在懸念されているように人間を「クローン化する」ことができたとしても、厳密に言えば、クローンたちが同じなのは、「誕生」の瞬間だけです。人生の最初の一歩を踏み出すやいなや、彼らはたがいに違ったものになるはずです。
各人のアイデンティティは、公式の記録簿に記された諸要素以外の実に多くの要素から、構成されています。なるほど、大多数の人たちは、あるひとつの宗教的伝統に属し、ひとつの(ときにはふたつの)国籍を持ち、あるひとつの民族や言語集団に属しています。大小の差はあれひとつの家族に属し、ある職業に従事し、ある特定の制度、ある特定の社会的環境のなかで生きている⋯⋯。しかし、このリストはまだまだ長くなりますし、潜在的にはキリがありません。地方、村、地区、氏族、スポーツのチーム、職場、仲間、組合、企業、政党、協会、教区、同じ情熱や同じ性的嗜好や同じ身体的な障害をもつ者同士、同じ困難に直面した者同士から成るコミュニティに、人は大なり小なり帰属意識を持つものだからです。
明らかに、こうした帰属のすべてが同じだけの重要性を――いずれにしても同じ瞬間に――持つことはありません。しかし、どれひとつとしてまったく無意味というわけでもないのです。これらはどれも人格を構成する要素です。もちろん大部分は生得的なものではないのですが、ほとんど「魂の遺伝子」と言っていいくらいです。(pp.17-18)