大川周明と「アイヌ」(メモ)

司馬遼太郎を読む (新潮文庫)

司馬遼太郎を読む (新潮文庫)

松本健一司馬遼太郎を読む』*1から。


北海道に「和人」たちが渡りはじめるのは鎌倉時代からで、それ以前はアイヌの土地であった。室町中期には、志海苔の和人たちに対するコシャマインの反乱がおこる。
こういうアイヌと和人との抗争への認識は、別に司馬遼太郎に始まるものではなく、こんにち右翼とよばれる大川周明*2などは、日本全土がアイヌの国土であった、とさえいっている。大川の『日本二千六百年史』(昭和十四年刊)に、こうある。「若し、吾等の憶測に大過なくば、初め日本は恐らくアイヌ民族の国土であった。この憶測の根拠となるものは、南は九州より北は奥羽に至るまで日本の地名は殆どアイヌ語らしきことである」と。
この、日本列島における先住民族アイヌを、南から大和民族が北に追っていった、というのが、大川周明歴史観である。もっとも、大川の『日本二千六百年史』は蓑田胸喜らの天皇原理主義者によって内務省に告発され、翌昭和十五年の改訂版では「日本にはアイヌ民族が住んでいた」といった穏和な表現に改められた。(pp.152-153)
なお、「司馬遼太郎はこの大川周明について、右翼という先入観をもっていなかった」という(p.153)。司馬の大川についてのコメントは、

(前略)小生はドイツローマン派の人だと思っています。日本の右翼は、朱子学もしくは平田国学だと思いますが、大川周明はちがいますね。慶応の井筒俊彦氏は若いころ大川からアラビア語文献を借りて勉強されましたが、氏に「大川周明はドイツローマン派ですねというと、「そうです」とまことにあっけないこたえでした*3。(Cited in p.154)
最近のウヨは「アイヌ」という民族の実在を否定しているようだ。これは中国スターリン主義者の少数民族迫害よりも、土耳古ナショナリストクルド人に対する態度に近いのでは? 今はどうなのかわからないけれど、かつて土耳古政府はクルド人という民族の存在を否定し、クルド語も土耳古語の方言にすぎないと主張していた(Cf. 小島剛一『トルコのもう一つの顔』)。
トルコのもう一つの顔 (中公新書)

トルコのもう一つの顔 (中公新書)