「君たちはごゆっくり」

承前*1

朝日新聞』の記事;


「粋でいなせな父親でした」永六輔さんの次女・麻理さん

2016年7月12日00時20分

 永六輔さんの次女でフリーアナウンサーの麻理さん(54)は11日夜、東京・赤阪のTBSで記者会見を開き、永さんの最期の様子について、「7日は朝からうとうとしていたが、感覚が遠くなってスーッと息を引き取った。じゃあねお先に、君たちはごゆっくり、という感じだった」と話した。

 生前の永さんについて、「本名の秀雄よりも、永六輔として生きた時間が長かった。粋でいなせで、かっこいい父親でした」と振り返った。

 7日に亡くなったあと、通夜は行わず、東京都渋谷区の自宅マンションで、親しい友人の訪問を受けたという。黒柳徹子さんは10日に訪れ、1時間ほど思い出話をしたり、永さんを揺らして「死んじゃってるの」と話しかけていたりしたという。11日の昼、台東区にある実家の最尊寺に向かい、住職を務めるおいの読経で密葬を済ませたと明かした。
http://www.asahi.com/articles/ASJ7C6TC6J7CUCVL032.html

また、


永六輔死去」http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20160712/1468276089


をマークしておく。「尺貫法」を巡って。
ところで、少し前に、永さん*2とは略同年代の大橋巨泉*3の近況が伝えられていた;


タレント、司会者の大橋巨泉さん(82)は5月27日発売の週刊現代で約20年間連載を続けていたコラム「今週の遺言」の最終回を掲載し、がんの病状について「衰えた」「何時まで生きられるかわからない」と綴った。コラムは4月9日号以来休載していたが、5月初め頃から妻や弟の協力で最後の文章を仕上げたという。スポーツ報知は事務所関係者の話として、「大事を取って5月の終わりからは集中治療室に入っている」と報じている。

大橋さんは現在がんは見つかっていないものの「体力が戻ってこず衰えた」と記している。在宅介護で処置された痛み止め治療などで体調が急変し、4月11日朝に緊急入院、救命措置を受けたが、意識が戻ったのは4月末だったという。5月ごろの話として「老いた体をベッドに横たえ、たまに車椅子で外に出れば直ぐに高熱を出す始末である」「ボクにはこれ以上の体力も気力もありません」と書いている。
(泉谷由梨子「大橋巨泉「ボクにはこれ以上の体力も気力もありません」一時意識失う、集中治療室報道も」http://www.huffingtonpost.jp/2016/06/26/oohashi-kyosen_n_10691100.html

安易に頑張ってくださいなどということもできない。第三者が取るべき態度は敬意を表しつつ傍観するということだろうか。