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永さん*1、七夕の日に逝ったのか。これでかつての〈中年御三家〉はいなくなった。
毎日新聞』の記事;


永六輔さん 83歳=放送作家、ラジオタレント

毎日新聞2016年7月11日 東京夕刊


 放送作家、タレント、エッセイストとしてテレビの草創期以前から多方面で活躍した永六輔(えい・ろくすけ、本名・永孝雄=えい・たかお)さんが死去していたことが11日分かった。83歳。

 東京・浅草の寺の息子として生まれた。中学生のころからNHKラジオ「日曜娯楽版」に投稿を始める。早稲田大在学中に同番組を手がけていた三木鶏郎に見いだされ、放送作家、司会者としてデビューした。

 作曲家の中村八大に誘われ、作詞家業を開始。中村・永のコンビで1960年代に「こんにちは赤ちゃん」など数々のヒット曲を手がける。なかでも坂本九が歌う「上を向いて歩こう」は大きな反響を呼んだ。

 作詞した曲はほかに、作曲家いずみたくと組んだ「いい湯だな」「見上げてごらん夜の星を」、中村と組んだ「黄昏(たそがれ)のビギン」などがある。

 60年代半ばからは軸足をラジオの世界に移した。67年から2013年9月まで放送されたTBSラジオ「永六輔の誰かとどこかで」は放送回数が1万2629回に達し、同一人物が出演する同局の番組としては最長寿となった。同局の「永六輔その新世界」も91年から15年9月まで続いた。好きな旅で得た話から時事問題まで縦横無尽に語り、ラジオパーソナリティーとして活躍した。

 94年には老いや死を巡る言葉を集めたエッセー「大往生」が200万部を超えるベストセラーになった。96年9月〜16年2月の間、毎日新聞朝刊でコラムを執筆(15年9月以降は東京都内版掲載)。00年には菊池寛賞を、14年には毎日芸術賞特別賞を受賞した。60年安保反対闘争に参加し、尺貫法の復活を唱え、市民運動家としても知られた。

 近年は病との闘いを公表。10年には前立腺がんやパーキンソン病であることを明らかにした。11年11月には自宅で転倒し、骨折したが、リハビリを続けながら車椅子でラジオへの出演を続けていた。今年2月に脊柱(せきちゅう)損傷のため手術を受け、TBSラジオ「六輔七転八倒九十分」を休み、番組は6月27日に終了した。
http://mainichi.jp/articles/20160711/dde/001/060/083000c

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大往生 (岩波新書)

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永さんの本で1冊挙げるとしたら、『死にはする殺されはしない』。これはタイトルそれ自体がかっこよかった。また、永さんといえば、どうしても『せきこえのどに浅田飴』。
せきこえのどに浅田飴

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永六輔さん死去 黒柳徹子さん「最後の一撃のよう」」http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160711/k10010591221000.html
阿部江利、堀井正純、田中真治「永六輔さん、被災者支援にも尽力」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160711-00000007-kobenext-l28