判断を停止して

Michiko「羽仁進監督のテレビおもしろかった」https://note.com/michikonakamoto/n/n187c1490e814


このエントリーに言及したとき、「番組*1とは関係ない部分が面白い」と述べた*2。例えば、


わたしが歌を好きな理由の一つに、歌の世界に正しいも間違ってるもない、というのがある。振った男を恨んで恨んで歌う恨み節。いじけた女の歌。夢みて浮かれに浮かれていてもいいし、過去をひきずっていてもいい。娼婦の歌もある。その気持ちがそこにそのままある、ひたひたと浸ってよい!どんな思いも大切なかけがえのない感情なのだと。

演劇もたとえば誰かを死ねーーー!と思って大暴れしても、そこに遠慮などいらない。むしろしたらおかしい。一般生活、一般社会の中で、敬遠されそうな思いも性格も、目をそむけたくなる気持ちも、よーーーーくみると一つの感情のぐわんぐわんした動きだ。普通の暮らしであれば、そこを抑えたり、ごまかしてやり過ごすことが大人というか正になるが、それをどんどん脱いでいく。ぐわんぐわんを「ほほぅ、こうなっているのか」と善悪やその他の価値観を加えずにただおもしろがって観察していく。そうするとそこは自由だ。人間賛歌だ。

そういう善悪とか価値観を横において、人間の善や悪やいろんな欲やもちろん美しさも、ありのまま奇跡をみるように見れるのが監督という人たちなのかなと思う。