川崎、川崎


川崎病*1を発見した川崎勇作博士について;

発見者である川崎富作(かわさき とみさく、1925年(大正14年)2月7日 - )は医師。東京府東京市浅草区浅草出身の医学博士。専門は小児科臨床。

1948年(昭和23年)に、千葉医科大学臨時附属医学専門部(現千葉大学医学部)を卒業。日本赤十字社医療センター勤務中の1961年(昭和36年)1月に、この疾患に遭遇した。翌年、非猩紅熱性落屑症候群の名前で千葉県小児科学会で報告、さらに自験50例をまとめた論文を雑誌『アレルギー』に発表し、注目を浴びた。

最初は単純な疾患と考えられたが、病理学的に冠状動脈に動脈瘤が見られ、死亡例も多かったので、川崎病(Kawasaki disease)が定着した。1990年(平成2年)に日赤医療センターを定年退職。川崎病に関する情報を収集・発信する日本川崎病研究センター理事長。東京都台東区に「川崎富作小児科診療室」を開く。久留米大学客員教授

1991年(平成3年)、第81回日本学士院賞。2006年(平成18年)、第1回日本小児科学会賞を受賞。

2013年(平成25年)に小児科外来医を引退。理由は90歳近くなり、足腰に衰えが出て来たためという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B4%8E%E7%97%85

岡山県川崎医科大学という大学があるけれど*2、この「川崎」も学祖、川崎祐宣*3に因んだもので、神奈川県の川崎とは関係ない。
それから、モーターサイクルや鉄道車輛の製造で有名な川崎重工*4も川崎とは関係ない。この「川崎」は創業者、川崎正蔵*5に由来するものであって、神奈川県川崎市には工場もない。この川崎正蔵が創設したのが旧川崎財閥であって*6川崎重工もそれに含まれる*7。ところで、川崎八右衛門*8が創設した川崎財閥*9というのもあり、区別のために、前者は「神戸川崎財閥」、後者は「東京川崎財閥」と呼ばれる。 川崎正蔵薩摩藩の人間、 川崎八右衛門は水戸藩の人間。