Clive William Nicol

朝日新聞』の記事;


C・W・ニコルさん死去 環境保護活動家で作家、79歳
4/4(土) 17:16配信朝日新聞デジタル


 環境保護活動で知られる作家のC・W・ニコルさん*1が3日、直腸がんのため長野市の病院で死去した。79歳だった。葬儀は親族のみで営んだ。喪主は妻真理子さん。後日、お別れの会を開く予定。

 英国ウェールズ生まれ。カナダやエチオピアで海洋哺乳類や野生動物の保護に取り組んだ。1962年に空手の修行で初来日、75年の沖縄国際海洋博覧会でカナダ館の副館長を務めた後、80年から長野県信濃町の黒姫に拠点を置いた。荒れ果てた里山を購入し、「アファンの森」と名付けて間伐や除草などによる森の再生活動を始めた。

 テレビ出演や全国での講演会などで森づくりの必要性を伝えた。95年に日本国籍を取得、2002年に設立した「C・W・ニコル・アファンの森財団」の理事長に就いた。主な小説に、和歌山・太地の鯨捕りを描いた「勇魚」やファンタジー小説「風を見た少年」などがある。05年に英国の名誉大英勲章を受けた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200404-00000036-asahi-soci

神戸新聞』に掲載された「狩猟」を巡るインタヴュー記事を読んだ。新型コロナウィルス禍の(予想される)帰結のひとつは(人間にとって最初の文化であった)「狩猟」という文化の存立の危機なんじゃないかという思いがあり、とても興味深く読んだ;


古根川淳也「C・W・ニコルさん死去 生前の本紙インタビュー」https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202004/0013247578.shtml


少し切り取っておく;


12歳から小さな散弾銃でウサギやハトを撃ちました。空気銃は10歳から。田舎に住んでいるなら、狩猟をするのは当たり前でした。17歳からは、北極探検でアザラシやトナカイの狩りをしました。自分と仲間を守るためにシロクマを撃ったこともあります。でもトロフィーハンティング(剥製などが目的の狩猟)は嫌いです。チーターを撃つとか、遊び感覚で命を奪うことは、軽蔑します。

銃が厳しいのは当たり前だけど、日本はハンターを育てないといけない。私はわなは大嫌い。ものすごく嫌いです。アフリカの国立公園長をしていた時、わなを使う人たちを逮捕していたから。わなは密猟者の道具。動物に恐怖と苦しみを与えてはいけない。大半の国でわなは違反です。特にワイヤロープ(くくりわな)。あれは無差別です。シカ以外の生き物もかかってしまう。でも政府はわなを勧める。それは日本の恥です。

僕は17歳からイヌイット(カナダなどの先住民)と一緒に暮らした。彼らはアザラシやイルカを取る。ある会議で国際的な自然保護団体が「動物を殺すのは最低だ」と発言した。その時イヌイットのリーダーが「確かに動物の命を取るのはかわいそう。でもあなた方は牛や豚を殺すために飼っている。われわれが取る動物は死ぬ一瞬まで自由に生きている。かわいそうと言うなら、あなた方は家畜を全部自由にしてください」と。

 ハンターの誇りはすごく奥深い。大切なのは勇敢だけじゃなく、1発の弾で即死させられる腕がないとだめ。バックショット(大型獣用の散弾)はとんでもない。1発に弾が9個入っていて、どこに当たるか分からない。イヌイットは絶対に使わない。それから上手に解体し、自分で料理するか、料理できる人に渡さないとだめ。


一つは絶滅させないこと。科学的に調査して何頭取るべきかを決める。二つ目は痛みを与えないよう一瞬で命を奪う。そうでないと動物虐待になる。最後に無駄にしない。日本は、年間60万頭取ったシカの91%を捨てている。本当に恥ずかしい。英国・ウェールズには、アファンの森(長野県)の姉妹森があり、そこでは自然保護官が猟期になると300頭を取り、肉を売る。すべて国立公園のお金になる。捨てることはない。

 自然保護のために狩猟は絶対に必要です。シカの数を管理しないと森の生態が変わる。珍しい植物がなくなる。シカが食べないものだけが増える。そして草木を食べ尽くすとシカが餓死する。シカのためでもある。


取れた、当たった、でも死んだ動物を見ると深い悲しみがある。どうしても涙が出る。ごめんね、と。でも魂が出たから、もう肉です。イヌイットから学んだんですが、必ずお祈りをしています。動物を殺すのはちっとも楽しくない。でも当たった、取れたというハンターの喜びがある。

 昔のハンターは命のやりとりをしていた。いつ自分が死んでもおかしくない。だから自然に対する畏敬とか、ある意味の験担ぎが生まれた。イヌイットにきつく教えられたのは「おなかいっぱいで猟に行くな」。それは相手の命に対して失礼だ。「おなかがすいているからあなたの肉を下さい」でないといけない。生き物を畏れ敬って「神様、次も自分に獲物を下さい」という宗教心とか哲学とか、命を軽んじない精神とかがある。今は全くそういうものがなく、一方的に命を取っている。

「クマはどんな存在ですか」という質問に対して;

山の親せき。殺したくない。でも生きているクマは大事にするけど、死んだクマの肉は抵抗なしにいただきます。大きな矛盾です。大事なお客にはシカかイノシシを出します。本当に大事な、特別な客にはクマを出します。