鮃/鰈(メモ)

鮃/鰈(メモ)

「一嘗三嘆 鮃」『Eのさかな』(佐川印刷株式会社*1)15、pp.8-12、2019


曰く、


(前略)縄文時代三内丸山遺跡のほか三陸地方などの貝塚からも骨が出土しており、われわれ日本人は当時からヒラメを獲って食べていたことがわかります。古い時代には、ヒラメは口の大きな大型のカレイと認識され、「かれい」と呼ばれていました。室町時代になると「ひらめ」という呼び方が見られるようになりますが、江戸時代になっても上方では「かれい」の名が多く用いられていたようです。明治初期には三陸沖でヒラメの大漁が続き、その保存と利用のため、すり身にして手のひらでたたいて焼いたかまぼこが作られました。これが仙台の特産品「笹かまぼこ」*2の起源といわれています。(p.8)

ヒラメとカレイは姿形が似た「カレイ目」の魚で、ヒラメは「ヒラメ科」、カレイは「カレイ科」と異なる種として分類されています。
しかし、200年程前まではヒラメとカレイの正確な区別はなく、江戸時代中期の方言辞書である「物類呼称」(安永4(1775)年刊行)には「畿内、西国ともにカレイと称し、江戸にては大なるものをヒラメ、小なるものをカレイと呼ぶ。さりとも類同じくして種異也」とあり、両者が異種であることを認識しているようですが、地域や大きさでも呼び名を分けており、正確な区別はなかったようです。
その28年後に発行された「本草綱目啓蒙」(享和3(1803)年刊行)は、ヒラメとカレイを別種として区別した最初の文献とされています。「ヒラメハ一名ミヅガレイ、トイダ(仙台)、大口カレイ、一説大ナル者ヲ戸板ト云、コノ魚左片灰黒色 カレイヨリ色アサシ 右片ハ白色大ナル者ハニ三尺」とあり、地方名を記し、体色の違いや右側面(無眼側)は白色とあり、ヒラメとカレイは別種とする体色の違いが記述されています。(p.10)
なお、「ヒラメ」は種名だが、「カレイという固有の名前を持った魚はおらず、マガレイ、マコガレイアカガレイなどのカレイ科に分類される魚の総称」である(ibid.)。
また、岡山県鏡野町*3一帯では「アマゴ」のことを「ひらめ」と呼ぶ(p.11)。