あべこべ物語

歌舞伎『邯鄲枕物語 艪清の夢』(桜田治助作、山田庄一演出)*1を観た。主演は松本幸四郎*2片岡孝太郎
『邯鄲枕物語 艪清の夢』は江戸時代のどん詰まり、元治2年或いは慶応元年(1865年)初演。その後、明治後期以来上演が途絶え、1994年に沢村宗十郎が復活させ、2014年に市川染五郎時代の幸四郎が上演して以来の上演。沈既済の「枕中記」所謂「邯鄲の夢」*3を江戸(上野の池之端*4)の物語へと翻案したもの。邯鄲の「盧生」は江戸では「艪屋の清吉」つまり「艪清」。「夢」の中で池之端は大阪の「鶴の池」に変貌してしまうので、邯鄲/江戸(池之端)/大阪と三重化した場所が舞台となる。まあ、歌舞伎においては場所や人物のアイデンティティの多重化というのは当たり前のことなのだが。さて、夢の世界としての京都は〈あべこべの世界〉なのだった。そもそも 艪清夫婦は借金に追われて、池之端の出合い茶屋に居候することになった。そこで美人局をしようとして失敗したことが物語の発端だった。夢の大阪では、出合い茶屋主人「六右衛門」(中村歌六)は豪商「善右衛門」であり、しかも昼は男で夜は女というふうにジェンダーが曖昧化されている。この善右衛門に見染められ、婿になり、多額の小遣いを与えられることになる。さらに、金を使わないと、朝廷によって大臣にさせられ、追剥に遭っても、却って金を押し付けられる。餅屋も代金を受け取ってくれない。現実(江戸)が金の欠如に苦しみ悩む世界であるのに対して、夢(大阪)は金の過剰に苦しみ悩む世界である。
江戸時代のどん詰まりの作だからかどうかは知らないけれど、所々に歌舞伎の名作が引用されている。気づいたところでは、追剥の「唯九郎」(中村錦之助)の所作や科白は明らかに「鈴ヶ森」の白井権八だろうし、 艪清が行き着く遊郭「吉田屋」は「廓文章」で、近松門左衛門に遡る*5。なお、演出として、志村けん*6も追憶されている。
虎が登場したり、そもそもの蕎麦屋が餅屋になったりという正月的な演出もあったのだが、『邯鄲枕物語 艪清の夢』の物語を作動させるモティヴェーションは(聖徳太子作と伝えられる)よき初夢を見るための宝船の掛け軸である。これは(多くの歌舞伎の名作がそうであるように)主家伝来の宝物を探す物語でもあった。この意味でも、正月に相応しい演目といえるだろうか。


松島まり乃「観劇雑感 染五郎が蘇らせた幻の“夢”ものがたり」http://marinomatsushima.blogspot.com/2014/05/theatre-essay-201452.html


2014年の市川染五郎ヴァージョン*7について。